■一般財団法人 法政大学出版局
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その他数冊
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日記
『文学的絶対:ドイツ・ロマン主義の文学理論』
メモ
(A.W.シュレーゲル)
“創作すること [ Dichten ] とは、永遠の象徴化に他ならない。つまり、われわれは精神的なものを包む外的な覆いを探す力、あるいは、外的なものを目に見えない内的なものと関係させるのである。” P541-542
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『人はなぜ「自由」から逃走するのか:エーリヒ・フロムとともに考える』
メモ
なぜ全体主義は生まれたのか?
ハイエク「経済を中心に社会全体を計画的に管理することが合理的だとする設計主義のせいだ」
マルクス主義系の理論家「自由主義的な手法では人々の不満を抑えきれなくなった資本主義が、強権的に支配するために生み出したのだ」
ハンナ・アーレント「ナショナリズムによる国家形成のプロセスの歪みが、人々の同調的なメンタリティを形成したのだ」
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『布団の中から蜂起せよーアナーカ・フェミニズムのための断章』
メモ
“もし私が「美しく」変わる、あるいは今の己を「美しい」と認識し直すことができたなら、私は救われるのかもしれないが、それは私が望む革命ではない。変わらなきゃいけないのは社会。もう一回書いとこう。変わらなきゃいけないのは社会。” P96
”容姿の社会的意義が限りなく軽くなったときにこそ、われら(あえてわれらと言おう)の呼吸はようやく楽になるはずではないか!” P99
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『14歳からの社会学:これからの社会を生きる君に』
今日、世界の国々の幸福度ランキングの結果がニュースで放送されていた。
日本、51位でG7最下位。1位はフィンランドで7年連続だという。
「じゅうぶん豊かで、貧しい社会」というタイトルの本があるが、日本はそれに最もふさわしい国のような気がしないでもない。
なぜなのだろうか。
今までいろいろと考えたが、決定的な点はおもいつかない。
・SNSの大幅な普及
・加速するIT化によって、高齢者がシステムについていけずに不満が蓄積される
・超少子高齢化によって若者が希望を持てない
・先進国のなかで日本だけ経済成長がほとんどない
こんなことでは到底説明することは不可能のように自分には思われた。
豊かにするための経済活動が、結果的に無意味に終わるならば、もはやそれは何の意味をなすというのだろうか。
ということで、今日はこの示唆に富む『14歳からの社会学』を再読。
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・SNSによる幸福度低下説(持論)
「承認不足」。
これが今の閉塞感の原因のひとつだと自分には思われた。
なんでも数字でその人間の価値を決めつけられてしまいがちな現代である。
「インフルエンサー」ほど、数字で決まるものはない。
自分も含め、恐らく「承認欲求」というものがSNSをSNSたらしめている根本原因なのである。
承認欲求(まわりから認められたい)が時代とともに強まっている。
これは共同体というもの、人とのつながりが希薄になっていることが原因だと思われる。
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宮台氏は「共通前提」という言葉を使って人間関係の変容を説明した。
昔は近所のどこに、誰がいて、どんな仕事をしているのかだいたい「みんな」知っていたのだという。
「みんな」の「意味」を、多くの人が「同じイメージ」で共有していた。
なのでなにかトラブルがあっても「みんなお互いさま」という意味が通用した。
それが時代とともに崩れたのだという。
今や日本には様々な外国人が住むようになり、町中の看板やアナウンスが中国語や英語でなされる。グローバル化によって「みんな」の意味するところが明らかに変わった。
都会で乱立するマンションは閉鎖的で、となりの部屋ぐらいであればともかく、となりのマンションともなれば、もはや誰がいるのかすら分からないだろう。
共通前提が崩壊することによって「みんなお互い様」が通用しなくなる。
すると規則でなんとかしようとする力が働く。
「コンプライアンス」という現象は、おそらくこの延長線上にある。
「みんなお互い様」というのは、その「みんな」がどのような人間かが想像できることによって初めて言えることである。
今はそうではなくなった。
となりの人間が誰かもわかりづらくなった。
すると信頼関係というものが希薄になる。
宮台氏は「行為功利主義/規則功利主義」という社会学用語でルール作りの話をしていた。
「みんなが結果的に幸せになれればなにしても大丈夫」という、「なあなあ」で成り立っていた昭和は「行為功利主義」で、「いや、みんなが幸せになるにはルールが必要だ」と考えるのが「規則功利主義」だと説明された。
繰り返しになるが今は「みんな」が不透明なので、もはや行為功利主義は成り立たない。ルール作りでしか解決し得ない。
問題は、誰がルールを作るべきなのか、である。
宮台氏は、多数決でそれは厳しいとみている。
それは端的に、日本には議論する機会が少ないからである。
「卓越的リベラリズムがベストだと思っている」と宮台氏は語った。
『みんな政治でバカになる』と似たような発想である。
つまり、みんなが幸せになるためのルールを徹底的に考え抜くことのできる人に任せましょう、ということである。
この説にしたがって考えていくと、まず日本の幸福度の低い原因のひとつは、ルールというものがうまく機能していないことになる。
これはすぐにはわからない問題なので考察に値するトピックである。
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宮台氏は、社会学的にはイギリス、フランス、ドイツは「階級社会」だという。
若い頃に未来のコースが決まるのだという。
しかし、意外にも選抜に漏れた側は漏れた側で受け入れるのだという。
この動画で岡田氏は、ヨーロッパの人は「努力次第でなんとかなる」とあまり思っていないと語っていたが、なるほどと思った。
階級社会だからこそ、努力で埋め合わせできない反面、社会保障が手厚くなるのである。アメリカは「努力でなんとかなる」と思っているから社会保障が薄いのである。
これが、ヨーロッパの幸福度が日本よりも相対的に高い理由なのだと自分には思われた。
「尊厳=自分に対する評価」がおそらく日本人よりも平均的に高い。
ここまで書いて、まずひとつは、制度作りという観点から政治経済を見渡すことが重要だと自分は気づいた。
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しかしことは単純ではないので、もうひとつだけ仮説を書いてみたい。
それは、運命に対する受け入れ方が西洋人と日本人では違うのではないかということである。
その違いは、「社会のせいだ」という言葉からみてとれる。
フェミニズム関係の本を数冊読んで感じたのは、「運」という要素をあまり考慮していないという点にある。
未来は自分で切り開く。
しかし、あまりに無理をしすぎて自分で自分の首をしめてしまっている人が少なくないのではないか。
フェミニストは、読んでいて優秀な人が多い印象を持った。
向上心と独立心が強い。
ヨーロッパはキリスト教の影響が少なからずあると思われるので、「それは神がそう選んだから」という発想があるのではないだろうか。
何事も「運」のせいにしてみるのもひとつの手ではないか。
それが『実力も運のうち』で言いたかったことのひとつだと解釈できる。
いろいろと考えさせられた。
つづく
公開日2024/3/21