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日記
読書日記1328までこちらのブログに移行が完了した。ひとつの記事の文字数が4500~6000くらいでよくそこまで書いていたなと思ってしまう。
今では、ある程度の問いが自分のなかで完結してしまっている。ひとつの問いかけが別の問いかけへと連鎖していくものではあるが、限界(もしくは壁)にあたってしまうことで問いかけがストップする。問いかけが連鎖しているときだからどんどんインプットし、どんどんアウトプットができたのかもしれないと思うに至る。
例えば、自分は過去にメリトクラシー(能力主義)を批判したくてたまらなく、終いにはマイケル・サンデルの『実力も運のうち』『責任という虚構』『格差という虚構』等をいっきに読むくらいの熱意はあったが、遺伝と環境を切り離して考察・研究することの限界を小坂井敏晶氏が指摘したことを念頭にいれ、さらに『人が人を罰するということ』や『そうしないことはありえたか』等を読むことによってもはや素粒子のように、どこまでもどこまでも細分化されていき、自由と責任の問題を解明するには一生かけても終わらないことを痛感させられた。
悪く言えば妥協。これ以上考えると迷宮入りしてしまう。さてどうしたものか。という状況に突入する。
人はある程度寝かせておいたものを、時間が経った後にまた触れてみると違った視点をもてたりする。
なので多読の醍醐味は寝かせることでもあると自分に言い聞かせ、また別の問いに移る。今はそれを楽しみながらやっていけばいいのかもしれないと思うに至る。
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『なぜこれまでからこれからがわかるのか: デイヴィッド・ヒュームと哲学する』
ヒューム『人間本性論』の第三巻、道徳の考察を読んだが、あまりに難解で一度壁にぶつかった。
ひとまず止まったままではあまり良い気がしないのでまずこちらを読んでみることにした。
序論をすべて読んだ後、ヒュームの人生、著書の予備知識など、いろいろと新鮮な知識が入ってきたので今日はう良かったのかもしれない。
『人間本性論』が人々に受け入れられなかったのは書き方に問題があるからだと本人も自覚していたようである。
たしかに問いかけは深淵ながらも、あれは読みにく過ぎた。読みにくいと感じているのは自分だけではなかったということに少しほっとした。
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『ロシア文学の怪物たち』
ウクライナでは部分的に、ロシア文学が教科書から外されてしまったらしい。
ロシア文学は危険であると著者は言う。
執行草舟氏も、ドストエフスキーは「毒」だと語っていたのを思い出す。ただ楽しんで読むような本ではないということは分かった。
今日は本の本をなにか読みたいと思い、こちらを読んでみることにした。
なかなか読み易く、かつアカデミックなところもあってなかなか面白いと感じた。
メモ
ゴーゴリについて語るナボコフ
“「ゴーゴリの文体のテクスチャーにおける裂け目や黒い穴は、人生それ自体のテクスチャーにおける欠陥を示唆している。何かがひどく間違っており、人間は誰しも軽度の狂人なのであって、彼らは自分たちには非常に重要だと思える仕事に従事する一方で、不条理なほど論理的な力が彼らを自分たちの無意味な職業に縛りつけているーーーこれがこの物語の本当の「メッセージ」である」” P45