つづきを読み進めた。
池田氏は言う。
「私の本は読まなくていいからデカルトをカントを、ヘーゲルを読め」
本当にそう思っているのであれば、何故このような本を貴方は書いたのですか。
これは謙虚な気持ちから生まれた言葉であるはず。
僕がいままで読んできた本のなかには、おそらく数多の悪書が含まれる。
本を読むことそのものが良いことだと長らく思っていた。
大学で習ったクリティカル・シンキングなんてものは、小手先に過ぎなかった。
僕は池田氏の本を通して、ある意味浄化作業を行っている。
例えば、池田氏は「言論界の人間は日本の危機と言いながら、本当はそう思っていない。それは高見から見ている証であって、本当に危機の最中においてはそんなこと言う暇もない」という当たり前のことを言う。
世の中に蔓延っているいわゆる「オピニオン」というものは、必ずなんらかの意図が潜んでいて、真理をついた言葉は一握りであるはずだ。
この世にはあらゆる虚構が隠れていて、哲学はそれと戦うためにあるとすら思えてくる。
つづく
公開日2022-02-12