つづきを読み進めた。
池田晶子『考える日々 全編』毎日新聞出版
ツルゲーネフ『父と子』新潮文庫
カント『純粋理性批判』岩波文庫
を読む。
僕はこの3人がある同じことを言っているのに気づいた。
教育について皆同じことを言っている。
池田氏は、池田小学校殺人事件のあとに国が「心の教育」に力を入れ始めたことに嘆き、教えることの不可能性を書いた。
哲学は考えることでしか始まらない。
ツルゲーネフはバザーロフという人物を借りて「自分の教育は自分でするものだよ」と書いた。
カントは「(形而上学は)理性が理性自身の生徒になるわけである」P31
と書いた。
読書は考える力を奪うという言説がある。
しかしながら、読書は今まで考えることのなかった新たな視点を提供してくれる。
なにかに気づくことができればそれはそれで十分ではないだろうか。
つづく
公開日2022-02-14
補足:『教育哲学辞典』によると、ソクラテスは真理を教えることはできないと結論づけたとされている。ちくまプリマー新書に『従順さのどこがいけないのか』という本があるが、従順さは「教条主義」になり得る。
ただ、ひとつややこしいのは、「従順になるな」という教えは「「従順になるな」という教えには従順であれ」という意味になるので、「従順になるな」と「従順であれ」を同時に説いていることなるので矛盾が生じることになる。
これと似た例をもうひとつ挙げると、「絶対的に正しいことはない」という命題は、「「絶対的に正しいことはない」という命題は絶対的に正しい」と言っていることと等しく、「絶対的に正しいことはない」と「絶対的に正しいことはある」を同時に言っているので矛盾になる。