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その他数冊
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日記
『意志と表象としての世界 (1) (中公クラシックス W 36)』
メモ
“芸術にとって概念は不毛である。概念は芸術の技巧の方面で多少の導きとなるかもしれないが、概念の本質は、科学である。” P128
ショーペンハウアー「知識とは抽象的な意識にまで高められた認識のことである」
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『龍一語彙 二〇一一年 ‐ 二〇一七年』
メモ
”個の確立ができないと民主主義は成立しない。しかし、個の主張ばかりになると独善的になる。そのバランスの難しさが現代の諸問題の根底にあるのではないかと坂本龍一は考えている。” P222
ジョン・スチュアート・ミル「人間の能力は選択を行うことによって鍛えられる」
坂本龍一は哲学にも詳しいので読んでいて面白い。
今日はアドルノについても少し言及されていた。
「アウシュヴィッツ以後、詩をかくことは野蛮である」をもじって「フクシマ以後、声をあげないことは野蛮である」と書いてあった。
『ミニマ・モラリア』をまた読みたくなった。
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午後は法哲学の本を読んだ。
転売がなにかと話題なので、「ダフ屋は規制すべきか?」の章を読んだ。
結論を先にかくと「規制しても無意味」だという議論になってしまう。
転売にも種類はあるが、今回はアイドルのチケット問題について書かれていた。
「そもそも誰がチケットを買うべき客なのか?」という問いは指摘が鋭い。
それはチケットの販売方法によって都度変わる。
チケットの販売方法は自由だが、どの選択肢をとっても「差別」は避けられないということが帰結する。
例えばチケット販売の対象をファンクラブ会員限定にすると、そうでない客と差別が必然的に生まれる。
会員になることはコンサートに行くための義務となり、どこか閉鎖的なコンサートになってしまう。
それはやめようと考え、並び順で販売すると決めたとしても、今度は並ぶ時間がない客とある客で「差別」が生まれる。
そんな時ダフ屋は並ぶ時間がない客への「チケット買い代行サービス」として機能する。
(行動様態が変わらないという意味と、「差別」という言葉が平等主義者によって恣意的に使われるという意味の二つの事情から、差別という言葉が本書では使われている)
ダフ屋がいるのはそもそも需要と供給のバランスがおかしいからだ、と考えディズニーランドのように、チケットを値上げすることによってバランを整えようすると、今度は貧しい人への「差別」が生まれる。
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感情的になってしまいがちな事案も、理性的に考えるとなかなか解決に向かえない状況が見えてくる。
いま、転売ヤーがディズニーの開園前から並び、レア物をめぐって争いなどが絶えない日々が続いている。
あれは一種の代行サービスのようなものだと割り切るしかないのだろうか。
規制論はマイケル・サンデルの本に詳しく書かれていると書いてあった。
ちょっと興味がわいた。