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日記
リオタールの本は抽象的過ぎて読むに値しないと勝手に思っていたが、『なぜ哲学するのか?』に関しては、ようやく日本語としてなんとか成立していそうな気がしたので読んでみることにした。(加えて、リオタールの本にしては安価ということもあり)
メモ
欲望について
“欲望とは、どのようなものであれ因果性に置くことはありません。むしろそれは、あらゆるものの運動であり、彼自身に欠落しているものへと向かうように他者へと向かうあるものの運動です。このことが意味するのは、他者(もしそう言った方がよろしければ対象、しかし見かけ上欲望されている対象が本当に欲望されているでしょうか)が欲望するものに現前するということであり、不在という形式で現前するということです。(・・・)両側に、同じ矛盾に満ちたしかし対称的な構造があります。” P23-24
・なぜ哲学するのか
(ヘーゲルの言葉)
“「統一する力が人間の生から失せ、対立項が、それらの生き生きした関係と相互作用を失って自立的になったとき、哲学の要求が生ずる」” P54
⇒リオタール「統一性を失った悲しみのなかで、分離と不調和のなかで、哲学が生まれるのです」
・・・
『言語はこうして生まれる: 「即興する脳」とジェスチャーゲーム』
・抽象的なことが言語化される瞬間
“(・・・)もともと図像的だった標識が慣習化されて抽象的な意味を伝えるようになるプロセスは、ジェスチャーゲームでも言語でも起こる。たとえば例のニックの家での指先をあわせるジェスチャーは、最初は「船」をあらわすのに使われていたが、やがて慣習化されてコロンブスの航海や新世界を意味するようになり、ついには単純にアメリカを意味するまでになった。” P175
読んでいて、言語は即興のジェスチャーゲームから生まれるという仮説に信ぴょう性、説得性に重みが生まれ、どんどんと惹き込まれる内容となってきたように思う。
考察のポイントも多様にあり、読み方によってはかなり有益性をもたらす本となるかもしれない。
・普遍文法への懐疑
”言語への生物学的適応と、そのあらわれとしての普遍文法という考えに、疑問を挟むべき理由は十分にある。言語学者であるノーム・チョムスキーも、普遍文法が自然淘汰を通じて出現できるかどうかには疑いを持っている。” P183
言語への問いかけはつづく