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日記
さすがに夜は集中力に欠ける時間であった。
それでも「モンテーニュへの回帰」は短い文章だったので一通り目を通すことはできた。
できたが、論じられている内容、主題というものが抽象的で分かりにくい。
かすかに引き出せたことは、習慣というものがジェンガに例えて説明ができるというものであった。
ひとつの法律をとってみても、それはただ部品をとりつけたようにしてつくられたものではなく、文化に根差した、歴史的な意味、意義をもったものである。
そういうものを崩す(=消す)ことによって、全体にまで影響を及ぼすことがある。
また、未開社会と呼ばれる社会における習慣というのもこれに通ずることで、ひとつの社会というものは、ある意味複数の習慣がつなぎ合わせって全体が構成されているということで、西洋文明と未開社会を安易に比較することは、このジェンガの例えからしてナンセンスである、というレヴィストロースの主張というものはかすかに読み取ることが出来た。
モンテーニュは法律を安易に変えることの危険性を『エセー』のなかで書いていた。
自分はついつい、リベラリズムに対する批判材料としてこのことと結びつけて考えてしまう。
安易に変えてはいけないこと、すぐに変えるべきこと。
分かるようで実は分からない。