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新・読書日記214(読書日記1554)

丸橋裕『法の支配と対話の哲学: プラトン対話篇『法律』の研究』京都大学学術出版会(2017)

ベンジャミン・クリッツァー『モヤモヤする正義 感情と理性の公共哲学』晶文社(2024)

プラトン『ゴルギアス』光文社古典新訳文庫(2022)

ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』白水社(2022)

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日記

『ゴルギアス』を300項まで読み進めた。

善のために快を求めるのか、快のために善を求めるのか。

この問いに対するソクラテスの議論の進め方は相変わらず見事としか言いようがなく、半ば芸術的とすら思えてくる。

芸術的にすら見えてくるので、一見完璧で論理的に欠損は存在し得ないようにもみえる。

実際そうかもしれないが、読者は改めて考える必要がある。

  

空腹は苦である。そこで食べることは快である。ソクラテスは快と善の使い分けをかなり細かく突いていた。

一読しただけではなかなかその論理構造は頭に入らない。読んでいて気持ちがいいものではあるが、分かったつもりになりがちである。

書きながら少しだけ整理してみる。

大量の肉は健康な体にとっては大きな栄養をもたらす。しかし病気の体には有害となりうる。

よいものは(栄養をもたらす大量の肉)、それを受け入れるもの(健康な身体)があって初めてよいものとなる。

よいものは病気の身体(悪い身体の状態)にとっては有害となる。

これは、よいものが、それを受け入れる相手の状態によって悪くもなりうることを示している。

これを精神上の問題に展開させてみる。

優れた考えは、優れたものにとってはよいものとなる。

しかし、優れた考えは、そうでないもの(無能なもの)にとっては悪いものとなる。これは肉の話とアナロジーになっている。

  

この理屈を応用させて、ソクラテスは「快」も、優れていないもの(無知、不摂生、節度のないもの)にとっては「有害」となることを『ゴルギアス』の中盤以降で語っている。そこまではなんとなく理解はできた。

つまり、快は相手の状態によってその入力と出力が変化する。

しかし善は相手の状態に関係なく、常に入力と出力が一定となる。(当然、よい結果をもたらす)

それが「快」と「善」の使い分けだと自分は解釈した。

  

『ゴルギアス』の次はまだ最後まで読めていない『テアイテトス』を読んでみようと思う。

  

・・・

ポリコレ、キャンセル行為、デュープロセス。

『モヤモヤする正義』では時事的な内容が多いが、プラトンの知恵を試す試金石のようなものだと自分はとらえて、考察するには良い本だと感じている。

  

なにかと忙しい平日がつづくが、なんとか読みたいものは読んでいきたい。

つづく

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