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プラトン『ゴルギアス』読了+新・読書日記215(読書日記1555)

プラトン『ゴルギアス』光文社古典新訳文庫(2022)

三島由紀夫『三島由紀夫文学論集 3』講談社文芸文庫(2006)

ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』白水社(2022)

執行草舟, 佐堀暢也『夏日烈烈-二つの魂の語らい』講談社エディトリアル(2018)

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『ゴルギアス』感想

この本はプラトンの初期作品のなかでもとくに政治に対する批判精神が強いとされるみたいである。

実際、読んでみると弁論家(ゴルギアス)との論争に始まり、その後は「不正をするほうか、されるほうか、どちらがよりマシか」といったテーマについて語られる。言うまでもなくソクラテスは不正をされるほうがまだマシだと考えている。しかし仮に国家が不正に死刑に処する場合(実際にそうなってしまった)、ソクラテスはそれを防ぐにはどうしたら良いか、という議論まで本書ではなされる。

ソクラテスは「それは独裁者になるか、国家の支配者になるしかない」と答える。

この本にはプラトンの「諦念」を若干感じさせるものがあった。

  

自分以外の全ての人間は世俗的な価値、富や快楽の追求にしか興味がなく、「快」と「善」の違いすらも理解できない「無知な大衆」への攻撃とも思えるシーンが目立った。

だからこそ政治にもおのずと「不正」というものが虫のように湧き出てくるのだ、と言わんばかりの勢いを感じさせられた。実際にそうだろうし、自らの不正を自らが押さえつけなければならない。その重要性を様々な書物でプラトンはしっかりと訴えていて、プラトンは自分を神とは思っていなく、何処までも謙虚であるので、これからプラトンの作品を読もうとしている読者は勘違いしないように注意するべきだと自分は思っている。

『国家』も政治色が強い作品であるが、本書は違う角度からの論争が勃発し、非常に読み応えあるものであった。

ゴルギアスがここまで批判精神に溢れた作品だとは思っていなかった。

この本は来年の自分にも絶えず影響を与え続けるだろう。

  

・・・

新・読書日記215(読書日記1555)

三島由紀夫の本に書かれていた「人生を運不運で概括する陳腐な思考(ホフマンスタールの言葉)」が妙に引っかかった。

現代はマイケル・サンデルの『実力も運のうち 能力主義は正義か』、「親ガチャ」という俗語、「体験格差」という言葉など、不運な環境で育った人たちの責任を外部に求めるのが若干の感覚・常識になりつつある。

自分もこの問題をいろいろと考えた時期があったが、ドストエフスキー研究者の亀山氏の「運命に対する態度」というものがこのリベラリストには欠けているのではないかと自分も思い始めた。

この考えを突き進めていくと否応なしに卑しい考え方に辿り着く。

これが執行草舟氏のヒューマニズム批判の際に出てくる「笑顔のファシズム」「現代の似非民主主義」といった言葉と共鳴したとき、自分の考えは若干の変化を起こしたことを記憶している。

そして今日、また「人生を運不運で概括する陳腐な思考(ホフマンスタールの言葉)」に共鳴した次第となる。

  

今日は金曜日で疲れ果てたので明日以降も魂溢れる作品を読んでいきたいと思う。

つづく

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