サラ・ベイクウェル『実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを』紀伊國屋書店(2024)
仲正昌樹『いまこそハイエクに学べ: 〈戦略〉としての思想史』春秋社(2020)
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日記
自分はハイエクの思想をまだあまり知らないうえ、第一印象としてハイエクはリバタリアンよりの人物に思えるのであまり好きにはなれないところではある。
しかし、自分の思考の幅を広めるには、敢えて自分とは考えが合わない人の本を読み、未知の考えを学ぶことには意味があると考えている。
世界のミクニの本も最初はあまり興味は持てなかった。能力主義、生きるか死ぬか、努力で天下を取る、といった生き様にはむしろ吐き気を覚えるくらいであったが、ブックオフでわりと安く売っていたので良い機会だなと思い読んだ次第であった。
仕事が終わってから家でやることがとくにないから鍋を洗った、という話が非常に印象的であった。
遊びが大事だ、という意見は多いが、こういう人もいるのだなという印象をもった。
ということで、自分とは違う世界にいる、あるいはいた人物の本を読むことは大事だと日々感じている。
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『いまこそハイエクに学べ: 〈戦略〉としての思想史』
ハイエクという人物の考えを少しずつ吸収。仲正教授の文章は読み易いので、集中力さえあれば広くハイエクのことを知ることが出来るように思う。
ただ、この本を読むと、「自由主義」だとか「集産主義」だとか、人物によって意味が多少変わるということが分かる。
本書には「ハイエクのいう〇〇とは~」という表現が目立つので、言葉の定義を追うだけでもなかな疲れるところである。仕事終わりなら尚更である。
人文系のめんどうくさいところだ。これは醍醐味どころではなく、悪習だと思っている。
理系の人間からは頭の悪い人間たちと思われていることだろう。なぜならば、ひとつひとつの言葉の定義が人によって異なるので、数学のように定義を決めてそこから出発することすらできない。再現性も薄い。
ただ、答えのない問題に向き合うところが数学とは違うと思っているので、そこを鑑みれば致し方ないとは思えてくる。
メモ
“(・・・)ハイエクは、各人の幸福の比較、計算可能性を前提にして「一般的な福祉」の促進を提唱する功利主義は、個人の自由を尊重する自由主義とは本来相容れず、むしろ集産主義に通じる考え方だと見なしている。” P42
“(・・・)包括的経済計画がいったん立てられると、その計画を民主主義的に制御することが困難になる。何故なら、実際にそうした計画を実行しようとすると、それと整合するように、個人間の権利関係を定めた民法などの多くの関連する法律やルールを変更しなければならないし、先に述べたような、価値や選択の序列問題を解決しなければならなくなるからである。” PP45
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『実存主義者のカフェにて――自由と存在とアプリコットカクテルを』
実存主義が低迷し、構造主義、ポスト構造主義と時代は流れていくが、管理社会、個人情報流出社会、見えない未来の漠然とした不安、雇用の不安定(コロナ禍、AIなどの進出)。本書にはそうした現代がで再び個の存在を問うようになっていると書かれていた。
そりゃそうだと思った。
環境が変わろうが、医療が変わろうが、仕事が変わろうが、人間の存在様式(生まれて、食べて、働いて、寝て、死ぬ)は変わらない。
モンテーニュは10年ほど隠居生活で内面を観察し、そこから充実した体験を得られたのだという。
考えることの重要性、自由という意味を問うこと、考えるだけでなく行動すること。
その大切さは、現代においてより際立っていて、強調されてもされ過ぎることはない。
実存主義は死なない。