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新・読書日記232(読書日記1572)

メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』インターシフト(2008)

■株式会社インターシフト

公式HP: http://www.intershift.jp/

公式X:https://x.com/intershift_

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日記

ドトールでとなりにサラリーマンが座ってきた。

このサラリーマン、パソコンを眺めながらジャーマンドックを頬張っていた。明らかに忙しそうな雰囲気を醸し出していた。

そして食べ終わるとすぐにタイピングを始めた。

このサラリーマン、癖がつよく、タイプする際の力加減が明らかにおかしい。

ドドドドドドドドと、凄まじい振動がこちらに伝わってくる。

正直参ってしまった。

午後もなぜか疲れが取れず(おそらく読書のしすぎ)、かといって家で何もしないというのもまた苦痛であった。

仕方がなく散歩をすることにした。久しぶりに河川敷を歩いた。

しかし、今日は暑かった。全然快適ではなかった。自動販売機で買った炭酸水は開けた瞬間泡が飛び出てきた。

仕方がなくしばらくマインドフルネスをすることにした。

苦痛を感じていて、疲れているのではあるが、意識というよりかは、自分の内なる声と言うべきか、こちらのほうは冷静で、落ち着いてすらいた。

身体、精神、意識、無意識、宇宙。

『プルーストとイカ―読書は脳をどのように変えるのか?』にはソクラテスの話が出てくるのであるが、ソクラテスは読書をし過ぎることによって「わかったつもり」になることを強く警戒した可能性があるのだという。

自分もそこは冷静に受け止めてる。

実際、どれだけ何かを研究しようが、読み倒そうが、人間には分からないものはいくらでもある。

今日の疲労も正直なぞのひとつである。ここまで疲れが取れなかったのは久しぶりだ。三連休は疲れをとるどころか、維持されてしまった感がある。

  

・・・

メモ

“(・・・)文字を想像するだけで、視覚皮質にある特定のニューロンが賦活されるのである。” P

  

・読書のパラドックス

“読書の目標は、著者の意図するところを越えて、次第に自律性を保ち、変化し、最終的には書かれた文章と無関係の思考に到達することにあるのだ。” P36

  

・muscleについて

“つまり”muscle”の発音されない”C”は、英語の形態素の側面を視覚的に伝える存在なのである。突き詰めて言うなら、英語は、音声語の個々の音の表現と単語のルーツの表示という二つの機能の”妥協点”ということになる。” P71

  

100ページくらいまでは文字の歴史、認知科学の知見や脳科学関連の話が連打され、なかなかに重い内容であったが無になって今日は130項くらいまで読み進めた。

ソクラテスについては池田晶子が語り尽くしているので今更驚きはないが、ソクラテスは書き言葉を信頼していなかった。

しかしプラトンは結局残すことにした。何故なのか。

ギリギリのところで、結果的に書き言葉を信頼したのかもしれない。

それとは違うケースとしては、書き言葉は信頼に値しないかもしれないが、それでも敢えて残し、後の世代に託したのかもしれない。

ただ、書き言葉の長所が本書にはいろいろと書かれている。

読み聞かせの効用についてはいろいろと考えさせられた。

現代社会は書き言葉に溢れている。それは必要悪なのかどうかは知らないが、そういう社会であれば尚更話し言葉にこだわっている場合ではないとは思う。

抵抗としての書き言葉。

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