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ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』読了+新・読書日記251(読書日記1591)

  

橋本摂子『アウシュヴィッツ以後、正義とは誤謬である: アーレント判断論の社会学的省察』東京大学出版会(2024)

ジャック・ロンドン『マーティン・イーデン』白水社(2022)

立岩真也『増補新版 人間の条件―そんなものない』新曜社(2018)

執行草舟『脱人間論』講談社(2020)

シェリル・ミサック『真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議』名古屋大学出版会(2023)

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日記

あっという間に『マーティン・イーデン』が結末を迎えてしまった。

帯通り、パワフルな絶望であり、圧倒的な前向きの自滅であった。世界観は全てが逆説で成立しており、不条理と苦悩と怒りが織り交ざった作品であった。

この本を読み終わった後になぜか『脱人間論』を読みたくなった。

  

・・・

『脱人間論』

メモ

“もうこの世を立て直すとか、この世の中が良くなるという期待は捨てなければならない。私自身はこの年齢まで、現状の中で何とかやってきようとした。しかし、この世の中を変えよう、この世の中を良くしようと思っている限り、この世の中には必ず負ける。人間であろうとすれば敗けるのだ。そしてこの現世に取り込まれる。それは、この世が絶対的な正義に覆われているからだ。ヒューマニズムである。” P44

    

“神話上の英雄は、死を与えられる罪に問われ、命を奪われる話が多い。なぜ神話にそれが残っているかと言えば、人間というのは、そういう苦しみを苦しみ抜いて神と対峙する生き物なのだということを表すためだ。” P54-55

  

何を考えても結局矛盾にぶち当たる。

あとで書き残すが、ハンナ・アーレントによれば全体主義は無矛盾であり続けようとする自己運動だという。

無矛盾であることはある意味不完全で、不完全性定理の示すところは、矛盾の存在が逆説的に完全性の条件なのではないか、というのが自分の持論である。

それでも矛盾と対峙し、苦悩することが人間の条件であるということが少しだけ見えてきた気がする一日だったように思う。

  

・・・

マーティン・イーデンは最後にこんなことをつぶやいていた。

“が、たぶんニーチェは正しかったのだろう。たぶん、いかなるものにも真理はなく、真理の中にも真理はないーーー真理などというものはないだろう。” P522]

そうかもしれないが、何故真理という言葉が存在するのか。

『言語はこうして生まれる―「即興する脳」とジェスチャーゲーム―』で著者は、言葉は目的を遂行するために存在し、目的は意味に先行するといったことが書かれていた。

ふつうに考えれば、真理というものはないのかもしれないが、真理という言葉が何かの目的のために使用されたことは疑いないだろう。

すると、それについて解明しようとすれば語源というものを研究する必要がありそうだと分かる。

真理という言葉はどんなときに、どんな目的のために「つくられた」のか。

しかし今日はそんなことにエネルギーを注ぐ熱はなかった。

  

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『アウシュヴィッツ以後、正義とは誤謬である: アーレント判断論の社会学的省察』

メモ

ヘレニズム・・・・古代ギリシア回帰願望

マチズモ・・・・・男性性の誇示

アゴン主義・・・・アーレント政治理論のアプローチのひとつ。あくまでもアイデンティティ・ポリティクスの文脈内にアーレント政治思想を取り込もうとする立場

連帯主義・・・近代的法制度の枠内で「主体性」を救済し得ると考える立場

  

(ベンハビブの言説)

“(・・・)公的空間とは単にあらかじめ定められた公的な討議事項(agenda)について論じ合う場ではなく、なにが「公的なもの」であるべきかという問いそのものを含めて討議する場でなくてはならない。というのも、「あるものを公的なものにするための闘争それ自身が、正義と自由のための(公共的な)闘争(Benhabib 1972 : 79)にほかならないためである。” P25

   

・・・

   

“さらにアーレントは、カント本体の政治哲学は、通常そうみなされる『実践理性批判』ではなく『判断力批判』の方にこそ含まれると述べる。その理は、論理的推論的過程を通じてただひたすら普遍法と自分自身の良心との一致を目指す実践理性の道徳的判断と異なり、『判断力批判』で論じられる美的判断では、その妥当性評価に他者の存在---正確にいえば他者の現前(representation)ーーーが前提されるためである。” P28

  

淵源(えんげん)・・・・物事のおおもと。みなもと。

“哲学と政治の両立不能性は、アーレントが終生立ち向かい、考え続け、そしておそらく最終的には未解決のまま残された巨大な問題であった。” P33

  

“アーレントにおいてイデオロギーとは(・・・)むしろそれらの虚構に共通する形式性、つまり特殊で恣意的な前提から「論理的」に導かれる動的な行動原理を意味する。” P49

  

“アーレントによれば、全体主義統治とは、一つの奇妙な世界観が絶対不可侵の公理(principle)として君臨する世界観である。” P49

⇒全体主義≒矛盾なき世界観

  

手すりなき思考・・・・先例のない出来事に対し善悪を問う判断の在り方

  

テロル・・・・イデオロギーという名の車における車輪⇒イデオロギーを支え続ける自己運動

  

・・・

『真理・政治・道徳―プラグマティズムと熟議』

メモ

(ロールズについて)

“リベラリズムはある政治の構想であって、善き生の構想ではない。” P40

⇒善に先行する正義

  

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『増補新版 人間の条件―そんなものない』

メモ

“ここで私たちは。仕方なく大切なことと、そのものが大切なことと、どちらなのだろうと考えてみたらよいと思う。政治(を自分たちで行うこと)は仕方なく大切なことなのだろうか、もともと大切なことなのだろうか。まじめな人は後者だと言いたいようなのだが、前者だと考えてよいように思う。” P66

  

“なんでもよいのだと思える方が、どんなあり方がよいと決まっているとされるより、そしてそのよいとされることにかなり成功していたとしても、楽だ。” P94

  

“つまり、自分にとって手段でありだからコントロールでき譲渡してもよいと思うものはその人固有のものではなく、他人たちもまたそれを請求してもらってもよいものである。こうなる。” P134

⇒立岩真也は、所有権について、三百年ものあいだ、少しも言説は変わっていないと語っていたのが印象的であった。

自分で作ったから自分のものになる。

作ることと、それを所有することはまったく別のことだと立岩真也は語る。

ロック、カント、ヘーゲルはそれが当たり前ということにしておいて、その理由を説明してはいないと語る。

  

・・・

真理という言葉について帰り道、少し考えてみた。

真理という言葉は、意味はなくてただ目的を遂行するための言葉だと前提してみる。(行為遂行的)

すると、真理という言葉は目的を遂行するための「手段」となる。

手段としての「真理」。

  

しかし、問い忘れていることがあった。

目的とは何か。

考えてみると目的は欲求、欲望と関係している。

営利目的で動く会社は、組織の行動を分解すれば金銭欲や所有欲、食欲、性欲に還元される。

  

つまり「満たすこと」。目的を達成することは満たされること。

目的とは欲を「満たすこと」である。

たぶん、そこまで間違っていない。

  

こう考えていくと、言葉が著しく恣意的で、かつ感情的なものによって生成されることが分かってくる。

かといって、そのわりには言語というものは深淵なものでもある。

このギャップが違和感を覚える。

ああ、さっぱり分からない。

分からないから明日も考える。

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