森村進『法哲学講義』筑摩書房(2015)
ロマン・ロラン『ベートヴェンの生涯』岩波文庫(1965)
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日記
仕事柄、どうしても能力主義と福祉の相互関係を問わずにはいられない。
両者は倫理学でいう、自然主義と非自然主義のように、全く相容れない関係にあるように思える。
言語化させることで少しでもこのモヤモヤを解消したいものだ。
できることなら3時間くらい散歩して思索をしたい。今日はそんな気分に浸る一日であった。
まず、現場を体験すると否応なく障害が先か、障害をつくる環境が先か。この途方もない問いが炸裂する。
精神的な障害は、これは自分もそうだったが環境的な要因が大きくウェイトを占めているように今でも考えている。
物事はゼロ百ではないので当たり前のことかもしれないが、当たり前すぎて盲点になっている。
負の循環からいかにして突破するか。現場レベルでなにができるか。
合理的配慮、病気への理解は行き詰まりを見せている。なにが配慮だ、と思うときもある。
能力主義があらゆる配慮を取り去ってしまう。
ーーーつまり、性格と精神疾患をどこまで分離できるか。あれは性格からくるもの、あれは精神疾患からくるもの。その判断基準は。再現性(他の人にも当てはめることが可能)は。それが課題だ。
思索はつづく。
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『法哲学講義』
メモ
法実証主義の多様性について
以下の条件、考え方をひとつでも含めば「実証主義」とみなせる
・法は人間の命令であるということ
・法と道徳は必然的な関連が存在しないということ
・法的概念の分析またはその意味の研究は、社会的な機能などの観点からなされる批判的評価とは区別しなければならないということ
・(ある)法体系は完結した論理的体系であり、正しい判決はその体系内のなかで定められたルールから「論理的」に導き出されること
・道徳的判断は事実に関する陳述ではないということ(非認知主義または道徳的反実在論)
ケルゼンと純粋法学
“彼がそれほど純粋法学の方法論的純粋性にこだわる理由は、法学ではあまりにも解釈者の主観的な価値判断が学問の名の下に客観的な真理として主張される、という点にある。” P83
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昨日、Youtubeで役に立たない学問についての動画を観た。
役に立つとは「実践的」であるということである。
しばしば実践と理論は対立する概念である。前者は価値判断を含み(主観的)、後者は価値判断を含まない(客観的)。
そう考えると、客観的であることが前提である学問という名詞に対して主観的な意味を含む「役に立つ」という言葉で形容することは矛盾している。
この矛盾に気づけるかどうかは大きい。