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日記
立岩さんの本はこの本で二冊目だ。
立岩さんのこの本の最後では、吉本隆明とデリダが言及していることに対する立岩さんの考えを提示していくという形式で幕を閉じていった。
立岩さんは吉本隆明とデリダの言っていることは難しいと書いていた。自分は立岩さんもなかなかに読みづらさを感じた。というのも、比較的短時間でこの本の最後まで一所懸命読んだはずなのに、肝心の立岩さんの核となる論理の筋道が頭に残らなかったからである。
全く分からなかったというわけではないが、「それってどうなの」という疑問は提示してくれるものの、あとは読者自身でも考えてほしい、というメッセージなのかもしれない。
立岩さんが序盤で提示した問い、個人が何かを加工して作ったものがなぜ個人の所有物になるのか、その根源的な理由というものは最後まで分からなかった。もはや現代ではこの過程が当たり前になり過ぎていて、これを公理として設定されている議論が多いように思う。
このことを完全に否定したのはマルクスだ、くらいにしか分からず、立岩さんのラディカルな問いかけ、議論が自分の価値観にどう影響を与えたのか、いまのところやや曖昧である。
しかしながら、ピーター・シンガーをはじめとする、やたらに動物の権利を主張する人間に対して若干の距離をとって、一度自分なりに考えてみようという気にはなったのは事実である。
ちょうどタイムリーなときにピーター・シンガー『動物の解放』の続編がでた。
30項しか読んでいないが、この本を読むにあたっては立岩さんが残したメッセージとヘルガ・クーゼなど、様々な本から吸収したことを思い出しながら読んでいきたい。
残業ばかりで最近あまりカフェに行けていないのがつらい。