■株式会社青土社
公式HP:http://www.seidosha.co.jp/
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■株式会社筑摩書房
公式HP:https://www.chikumashobo.co.jp/
公式X(旧 Twitter):https://twitter.com/ChikumaShinsho?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
■有限会社月曜社
公式X(旧 Twitter ):不明
■株式会社未來社
公式HP:http://www.miraisha.co.jp/np/index.html
公式X:https://x.com/miraishajp?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
■株式会社晶文社
公式HP:https://www.shobunsha.co.jp/
公式X(旧 Twitter):https://x.com/shobunsha?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
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日記
残業が続いた12月の最後の一週間。読み足りなさへの不満が土曜日に爆発。
疲れなど知ったこっちゃない。デザートは別腹のように、読書は土曜日のためにあるのだ。
昨日と同じ時間に起床。メルカリの本を梱包し、ささっとスタバへ。
今日もなんだかんたで『新・動物の解放』がメインだったように思う。それと同時に立岩さんの本を並行して読んだ。読みながらジュンク堂へ向かい、ジュンク堂で視野を広げるために3F~5Fをまわりまくる。
気になる作家の本が見つからなかった。大型になればなるほどどこに置いてあるかわかりにくい。これはジレンマでもある。
おかげで、普段あまり見ない棚で面白そうな本をいくつか発見。
(そしてフィリップ・ソレルスは『恐怖の権力』(法政大学出版局)等の著者、クリステヴァの伴侶だったというくだらない豆知識を手に入れる)
ピーター・シンガーと立岩さんの本を行ったり来たりの一日だったように思う。
・・・
『新・動物の解放』
ピーター・シンガーは、限定的であるが、人の命を救うためなら動物実験が正当化されてもよいと考えている。
ピーター・シンガーの思想はもっと深いものだと信じているが、どことなく胡散臭さは拭えない。
動物実験が正当化されるならば、脳機能が完全に失われた人がいたとして、その人を実験にかけることによって大勢の人々や動物を救えるのであれば人体実験も正当化されることになりはしないだろうか。
人間と動物の距離を縮めれば縮めるほど、紙一重で近代のような残酷な価値観を受け入れかねない。
このことに立岩さんはとっくに気が付いていて、だからこそ今立岩さんの本も同時に読んでいる。
200項まで読んだ。まだ第三章。ピーター・シンガーに対する反論への応答は第六章ということで、まあ明後日くらいにはたどり着くだろうか。
今日はただただ、『動物の解放』の延長線のような話が延々とつづいた。
現代もまだ動物が不必要に苦しめられている、そういう話がメインであった。
メモ
“さらに、ヒトでない霊長類の実験でもヒトの命を脅かす反応は予測できない、という点も指摘した。生物化学工学の開拓者でコーネル大学の名誉教授、マイケル・シェーラーは、ある大手製薬会社から聞いた言葉を引用する。いわく、「動物試験のうち、真にヒトの反応を予測できるものは六パーセントにすぎない」。” P93
(FDA 毒物学部長 ゲイリー・フラムの言葉)
“「動物福祉運動の指摘はどれもこれも極論だが正しい」” P95
“EUは動物を使う化粧品試験に関し一連の禁止法を敷き、二〇一三年には施行日以降に世界のいずこかで動物実験を経た化粧品や化粧品成分に関し、販売を禁じる法律を設けた。” P97
“私は非種差別的な倫理指針を受け入れるが、深刻な脳障害を抱える人間もしくは動物に危害を加える実験が常に不正だとは考えない。” P136
⇒つまり、ピーター・シンガーは深刻な脳障害のある人間を人体実験にかけることは稀に認められる、と述べているに等しい。
しかしながら、このピーター・シンガーの発言を否定することによって種差別主義のレッテルを貼られてしまう。これはジレンマである。しかし、このジレンマは受け入れるべきではないか?
種差別主義と言われようが、人体実験を部分的に肯定するのはいかがなものか。危険思想ではないのだろうか。こういう時には治験と人体実験の境界線について考えてみるのもよいかもしれない。
“(・・・)動物実験から得られたあらゆる知見は、私たちの寿命を延ばすうえではよくてごくわずかしか貢献していない。” P142
⇒これは役に立たない実験を排除すべきだ、という主張を強化するものになり得る。そして実利的な発想が幅を利かせてしまう。実際そうなっているかもしれない。
・・・
『唯の生/良い死』
“(・・・)人間が人間であるゆえの価値であるというふうに考え、それが人間の自己決定の主張であると考えるとすると、それはいささか違うように思うのです。(・・・)私の意のままにならない身体もそういう世界の中のものであるといった経験は、多分言いわけじゃなくて、私たちが生きていく中でかなり重要な、大きな部分を占めていることは確かであると思います。もし自己決定の主張が、そういった私たちの経験を否定して、何もかも自分の思うように動かしていくことこそが価値であるという主張だとすれば、それは違う。” P40
“安楽死・尊厳死の主張は優生思想だと批判した人たちがいる。なんでも一言で括ってしまうのはたしかに乱暴なことではあるが、私はこの括り方は基本的に当たっていると考えている。” P64
・尊厳死を訴える運動に葬儀会社が絡んでいた件に触れて
“なにか悪い企みがあって、それがきれいな言葉で隠されているという陰謀史観はそういつも当てはまるわけではない。” P65
・・・
『存在のカタストロフィー』
メモ
(ベンヤミン)
“「批評は芸術作品の真理内容を、注釈はその事実内容を求める」” P33
・批評的暴力
“(・・・)ベンヤミンは、批評とはなによりも「偽りの、ひとを惑わす」統一性を「打ち砕く」<力>であると言っている。” P35
“血で書かれたこの歴史を前にして、墨で書く批評は無意味に等しい。” P42
つづく