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新・読書日記310(読書日記1650)

   

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日記

読んでいるとふと思ったことがあった。

本は数十万~数百万の文字数があると言われる。それに対して、タイトルは10文字前後になる。

タイトルは普通、その数百万もする膨大な文字をある程度暗示する。

別の視点で考えると、数百万の文字が10文字前後からなる文の「意味」となる。

これは何かに似ている気がした。

   

文字の意味が定まらないのはなぜか。

意味が生成される法則をいまだ掴めないのはなぜか。

   

何かに似ている。

1gの物質にはとんでもない数の原子が含まれている。

つまり、ひとつの文字にはとんでもない数の意味が含まれている。

  

とんでもない数の文字が集まってようやく「タイトル」の意味を含ませることが可能となる。

必然的に思考は宇宙へと拡がる。

ひとつの銀河系にはとんでもない数の惑星が存在する。

しかし宇宙全体でみると、とんでもない数の銀河系が存在するとされている。

   

本もしかり。

本のなかの文字の配列の数は必然的に無限となる。

神谷美恵子は本のなかは無限だ、みたいなことを書いていた。

なにかがひとつにまとまった。

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