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新・読書日記336(読書日記1676)

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■株式会社岩波書店

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■ロゴス

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日記

『希望の書店論』に、ある経営者の書店に関する持論が書いてあった。内容はありきたりではあるが、何かを切り開くとき、行き詰ったらとりあえず書店に足を運んで考えるというものであった。自分も長らくそのスタイルでやっているが、それだけでなく、ただ本屋にいるだけでリラックスできるものである。

残業が続いたのでカフェでは意識が何回か飛んだ。音楽を聴きながら本を読むとほぼ毎回意識が飛ぶように思う。それくらいリラックス効果があるのだろうからよしとする。

法学のコーナーは見たことのないような本が沢山並んでいて新鮮な景色であった。そのなかで『「マルクス主義とキリスト教」を生きる』という本が気になった。無神論者マルクスとキリスト教は水と油で、この思想を両立させることなど可能なのか。いったいどういう人生を歩んだのかという疑問を感じずにはいられなかった。

『資本論』やその他マルクスの本を読破したと書いてあった。司法試験に受かるだけの能力のある人はやはりマルクスくらい余裕なのだろうと思いつつ、しかし一昔前は意外と読んでいる人が多かったのかもしれないと思いつつ、若干の嫉妬心が芽生えてしまった。

嫉妬心といえば、カール・ヒルティは、嫉妬心について以下のように書いていた。

   

“嫉妬心は実に、生涯のいやな随伴者であって、普通、生涯の終りになってようやく消えるものである。” P107

  

経験から得た知恵のみによって本書が成り立っているとヒルティはハッキリ書いていたので、ヒルティでさえも嫉妬心はあったのだと推察する。そう思うと若干気が楽になった。

   

今日は様々な本を縦横無尽に読んだ一日であった。

『希望の書店論』はどのページからでもなんらかの発見があるような構成になっている。この本とは付き合いが長くなるかもしれない。ジュンク堂のことが沢山書かれている。

  

“流通している本を、「できるだけすべて」棚にならべること、ジュンク堂のこの理念が、特にマスコミ関連の人に重宝されていることは、仙台でも経験済みだ。(・・・)彼らは、突発的に起こるさまざまな事件に接して記事を書くべく、参照できるエクリチュールを必要としている。(・・・)エクリチュールを販売する場であるだけでなく、エクリチュールを産み出す場でもありたい。書き手が、作り手が、読み手が、自由に集い、語らう場でありたい。並んだ本を巡って、読み手たちがおりなす語らいもまた、エクリチュールの萌芽であるだろう。” P88

  

本の本がいろいろと出ているが、自分はこの著者の本と相性が良いように思う。どこかのページに、就労継続型支援B型のことが書いてあって、それは搾取以外のなんだ、ということが書いてあった。(筆者の意見ではなく、引用)

立岩真也の『私的所有論』とつながる。障害者・賃金・人生。仕事柄、これからも向き合い続けるトピックである。

重度障碍者の本を一冊購入。

  

・・・

『幸福論 第二部』

メモ

(友情について)

“だが、長続きする人間が、すべて相互的関係に基づく。ひとはただ受け取るだけを欲してはならないし、といって、ただ与えるだけを欲してもならない。それでは常に不満に終るほかない。” p119

  

“有為な人は敵を持たずにこの人生を歩くことはない。” p127

  

有為・・・才能があること

  

“民主主義は政治的信念としては正しいけれども。人の生れつきの素質としてなら、好ましいものではない。” p124

  

“高慢は常にある分量の愚劣さと結びついている。虚栄心は滑稽ではあるが、憎らしくはない。ところが高慢は、他人に軽蔑をまじえた反抗心を起こさせるはたらきをする。” p109

 

“自分が強いという感情は、たえずそういう気分に陶酔したがる人間の傲慢におもねるのであって、真の内的進歩をうながすよりも、むしろそれを妨げるのである。” p83

  

“すでに中国の老子(紀元前六〇〇年)は「人間愛と虚栄なき心とは、人々に対して、自由かつ公平ならしめる」と言っている。” p92

  

“虚栄心と名誉心とは、つねに悪いしるしである。なぜなら、どちらも結局は自己否定に基づくものであって、そうした自分の内的不満を、うわべを装うことや他人の行為ある判断で補おうとするのにほかならないからだ。” p100

  

・・・

『本、そして人』

メモ

“「自分は生れながらの善人というものには親近感をおぼえない。悪を克服して善人になった人をこそ尊敬する」と父は時々言っていたが、この言葉は父自身の内面の歴史を物語っているともいえよう。(・・・)「ぼくは地位や役目の上に乗っかっていい気分になっていることがどうしてもできない人間だ。惰性だけではどうしても生きていけないようにできている。だからなかなか大変だよ。” p122

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