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日記
残業の終わりごろ、オフィスが静かすぎて気が狂いそうになってしまった。
さすがになんらかの音が欲しい。そうでないと意識が飛んで夢なのか現実なのか区別がつかなくなるような、言葉に表現しにくい恐ろしさを感じてしまった。このあたり、まだまだ仕事人としては未熟だと痛感させられる。だがしかし、ヒルティはその『幸福論』において何度も働き過ぎることの有害性を訴えている。ヒルティは、日曜日を休息にあてよと何度も書いている。
残業はあまりするもんではない。するのであれば何か問題があるのかもしれない。
『人生は愉快だ』のタイトルはありふれたものかもしれないが、やはり内容は非常に深い。万人向けの本かと思いきや、フロイトだとかスピノザだとかハイデガーだとか生死について淡々と語りかけて来る。
自分探しについて読んでみた。
「自分は何に向いているか」という問いは、「自分とはそもそもどういう存在なのか」という問いがクリアしてからでないといけない。
先に「自分」というものが問われなければ「自分は何に向ているか」という問いは破綻する。
「xとは何か」を問わずに「xは何に役立つか」を問うようなものである。
つまり、どれだけ「xは何の役に立つか」を問うても、いつまでたっても分からないままである。
当たり前である。xが何か分からずに、どうして後者の問いに答えることができよう。
このくらいの方程式なら、中学1年生でも分かる。
にもかかわらず大人は真面目に「自分は何に向いているか」と問う。
問いの立て方を間違えれば答えは導かれない。
で、結局「自分とはそもそもどういう存在なのか」であるが、この問いがいかに深いことか。
おそらく一生考えても止まらないように思う。
つまり、何が向ているかなど、問うだけ無駄なのである。
だから池田晶子は目の前の仕事をやり遂げずに、何をやり遂げることができよう、といったことを語る。
ヒルティも似たようなことを何度も書いていた。
役に立つことを、有益になることを、考えれば考えるほど逆説的に後から振り返れば損したと後悔することになる。問いの立て方が「xとは何か」を問わずに「xをどう生かすか」と問うからである。
(勿論例外はあるのだけれども)
池田晶子の本を10年読めば、自ずと見えてくるものがある。