新・読書日記520(読書日記1860)
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日記
殺人的なスケジュールだった金曜日の疲れが残り、土曜日は9時頃まで寝た。そのあとくそ暑いなか本を6冊くらい鞄にぶち込んで歩くだけで大量に汗をかくなか本を読んだ。正確に言えば、本を読むこと、文字を書くこと以外に何かをする気力がない。そんな土曜日になった。
考えたいことはいろいろあるので今日もAIさんと話ながら一日の後半を生きようと思う。
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メモ
『文学とは何か(上)』
“中産階級のイデオロギーという苦い薬を、文学という砂糖でくるんで甘く感じさせればいいということになった。またもうひとつ別の意味からも、文学の「経験にうったえる」性質は、イデオロギーとして好都合だ。” P79
“英語英文学は、文字どおり貧乏人の古典(廉価版古典科目)となったーーーつまり、パブリック・スクールやオックスフォード、ケンブリッジ大学といった聖域に入ることを許されなかった階層に教養教育を安価に提供できる手段となった。” P80
“(・・・)現代においては、文学は道徳的イデオロギーそのものなのである。” P82
“英語英文学科は女性・労働者・および公務員ーーー現地人をうらやましがらせようとする人間ーーーにふさわしい科目であったが、それでもオックスフォード、ケンブリッジ大学という支配階級の権力の牙城に侵入するまでにはかなり時間がかかった。” P84
・・・
権力維持装置としての文学。イデオロギーとしての、道徳規範としての文学。いろいろと考えさせられる。シェイクスピア、ダンテなどが古典とされるのもたしかにその時代の規範、道徳、イデオロギーのようなものが決めるのかもしれない。未来においてもシェイクスピアはなお古典となりうるかわからないとイーグルトンは書いていたが、その意味では、たしかに文学とイデオロギーは何かの関係にあるのかもしれない。難しいな、文学。
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