読書ブログ|情報格差と読書の自由
読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。
本記事は「読書ブログシリーズ」第3部・社会と読書の入口にあたる。
現代社会では、情報へのアクセスの不平等がそのまま読書の格差となる。
読書は単なる趣味ではなく、自由や民主主義の基盤に関わる行為なのだ。
第一の観点:アクセスの壁
図書館、電子書籍、インターネット――どの媒体も万能ではない。
地域や経済的条件によって、アクセスの可否は大きく異なる。
「本に手を伸ばす自由が、すべての人にあるわけではない」
梟コメント:
本に触れられる環境があるか否か、それが知の出発点を決定する。
情報格差は「学ぶ以前の差」をつくってしまう。
第二の観点:読書と自由
自由とは、単に選択肢があることではない。
選択肢にアクセスできる環境があってはじめて、自由が現実になる。
「選べない自由は、自由ではない」
梟コメント:
読書の自由とは、読むか読まないかを選べる権利だ。
本に手が届かない状況では、その自由はそもそも成立しない。
第三の観点:公共性と読書
読書の自由を守るのは個人の努力ではなく、社会の制度である。
図書館や教育制度は「公共としての知」を支える仕組みだ。
「読書は個人の営みでありながら、公共の基盤に支えられている」
梟コメント:
読書は孤独な営みだが、その孤独を守るために公共が存在する。
読書の自由は、制度と倫理の両面から問い直されるべきだ。
結び
情報格差を直視するとき、読書は個人の趣味を超え、社会の根幹に関わる問題として立ち上がる。
「自由に読む」という当たり前を支える制度がなければ、孤独な読書も成立しない。
読書日記アプローチにおいて、第3部は「社会と読書」の軸を形成する。
格差を越えて、本が誰にでもひらかれていること――その自由をめぐる読書がここから始まる。
こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。
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