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読書ブログ|倫理は形式の盲点に宿る

この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。

本記事は「読書ブログシリーズ」第1部・孤独と倫理の読書の一編である。
ここでは「倫理は形式の盲点に宿る」という命題をめぐって考えてみたい。


形式の効用と限界

社会は形式によって成り立っている。
制度、法律、規範、手続き——それらは人々の行為を秩序づけ、予測可能性を与える。

だが形式は完全ではない。
あらゆる形式には「適用できない場面」「想定外の出来事」が生じる。
そこに盲点が生まれる。


倫理の居場所

倫理とは、形式が働かない場において呼び出される応答である。
形式に沿えば処理できるが、形式に沿えない出来事に直面するとき、私たちは「どうすべきか」と問わざるをえない。

「倫理は形式の外部ではなく、その盲点に宿る」

倫理は形式の敵ではない。むしろ形式の欠落を補完し、形式を活かすものとして現れる。


読書日記アプローチとの関係

読書日記アプローチもまた、この構図を反映している。
読書を形式的にまとめることは可能だが、そのまとめ方からは必ず「取りこぼし」や「書ききれない余白」が生じる。

その余白こそ、倫理が顔を出す場所である。
問いの痕跡、感情の揺れ、言葉にならなかった印象——そこに倫理的な契機が潜んでいる。


梟コメント

形式は必要であり、盲点もまた不可避である。
重要なのは、盲点を「失敗」として処理するのではなく、倫理の居場所として受け止めることだ。

読書日記は、形式化と盲点化の往復運動である。
盲点に出会ったときこそ、読書は倫理的な深みを帯びる。


結び

「倫理は形式の盲点に宿る」という命題は、社会制度にも読書実践にも共通する。
形式は人を守るが、盲点を消すことはできない。
その盲点を見つめるまなざしこそが、倫理の始まりなのである。

📚 読書ブログシリーズ全目次はこちら

こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

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