読書ブログ|文学的ユーモアを読む日々
ここは小さな読書ブログですが、ページをめくるたびに世界の見え方が変わる瞬間を残しています。
文学を読むことは、ときに深刻で、重苦しい。
だが、その只中にこそ「ユーモアの灯」がともっている。
ユーモアは笑いではなく、ずらしであり、響きの間である。
文学的ユーモアとは何か
- 言葉の音の遊び
―「ベケット読んでボケッとする」「ジッドをじっと読めない」など、語感の揺れが思索を軽やかにする。 - 意味と文脈のズレ
― 深刻な状況に差し挟まれる皮肉や逆説が、読者の思考をひらく。 - 存在への眼差し
― ユーモアは単なる冗談でなく、生の不条理を抱え込む術でもある。
読書日記アプローチにおけるユーモア
読書日記アプローチは「誤配」や「ズレ」を価値として拾い上げる。
そこにユーモアが自然に芽吹く。
- 読み間違いを楽しむ。
- 語感に導かれて本を選ぶ。
- 真面目さと遊び心を往復する。
ユーモアは、読書を「耐えがたき真剣さ」から解放してくれる。
梟コメント
ユーモアは「余白の倫理」でもある。
真面目さを突き崩すのではなく、
真面目さの隙間に風を通すのだ。
「誠意は返品不可、愛もまた同様」といった文学的な笑いは、
突き放しではなく、むしろ近づけるための距離感を作る。
結び
文学的ユーモアを読むことは、
「ずらし」と「間」を生きることでもある。
それは、読書をただの知識習得から、
「生のリズムを聴く実践」へと変えてくれる。
この記事もまた、読書梟の読書ブログの一ページとして積み重なっていきます。
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