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精神の恒常性――スキーマに抗う批評

この読書ブログ「読書梟」では、日々の読書を通じて考えたことを記録しています。

第1章 精神の恒常性 ―― 跳ね返される壁

twitterで、ある本を繰り返し薦めたことがある。誰も手を伸ばさなかった。本の厚み、著者の難解さ、あるいは単純な興味の問題。理由はどうあれ、そこには見えない壁があった。その壁の向こうには「いまの自分」を守る構造があったのだ。

心理学ではそれを「スキーマ」と呼ぶ。人間は経験の積層によって形作られた認知の枠組みを通して世界を解釈する。認知科学はこの現象を「予測符号化モデル」として記述し、脳が世界を「先に知っているもの」として処理する傾向を指摘する。社会心理学はそれを「確証バイアス」と呼び、同じ意見ばかりを選び取る傾向として批判的に捉えてきた。

SNSのタイムラインを見れば、その構造は容易に観察できる。自分にとって心地よい情報がエコーチェンバーのように循環し、異質な声は自動的に排除される。精神の恒常性は、こうして維持されるのだ。

だが、この恒常性は単なる悪ではない。秩序を守り、日常を安全に維持する装置でもある。だが同時に、それは変化を拒む鎧でもある。世界を閉じ、更新の機会を奪う無言の壁だ。

この章では、この「精神の恒常性」がいかにして形成され、なぜ私たちを閉じ込めるのかを掘り下げていく。心理学の研究、神経科学の知見、そして社会的現象を手がかりにしながら、固定性と変化のせめぎ合いを批評する。


第2章 抗いの必要性 ―― 閉じた世界から抜け出すために

精神の恒常性は、私たちを守る。しかし同時に、私たちを閉じ込める。

安全で、整合性の取れた世界。その中で、人は変化を拒む。自分が積み上げてきた経験や価値観は、やすやすと揺らがない。だが、その安定の中に潜む危険を見落としてはいけない。更新なき精神は、やがて硬直する。

抗うこと。それは、単純な反抗ではない。むしろ、理解できないものを抱え込む勇気に近い行為である。違和感や不快感を避けずに、むしろその摩擦を手がかりに世界を見直す。そこにこそ、思考の跳躍が生まれる。

カントは『判断力批判』で、理解不能なものと対峙するための審美的感性を語った。ハイデガーは「異邦性」を生きることが世界への開かれであると述べた。そして、バルトは「テクストの快楽」において、予測不可能な他者との出会いこそが読者を更新すると書いた。異質なものに身を委ねること。それは単なる知的挑戦ではなく、存在の構えそのものを変える営みである。

偶然の衝突は、ときに決定的だ。通りすがりの一冊、予期せぬ対話、ふと耳にした誰かの言葉――それらがスキーマに微細な亀裂を走らせる。その小さな裂け目を見過ごさずに広げていく態度こそが、「抗い」の始まりなのだ。


第3章 抗いの姿勢 ―― 偶然性と異物の受容

抗いとは、抵抗ではなく、受容の技法である。ただし、それは単なる受容ではない。摩擦を抱え込む、緊張を手放さない受容だ。

私たちが「異物」と呼ぶものは、しばしば不快で、時に暴力的ですらある。読みにくい本、耳障りな言葉、理解できない芸術。だが、それらを避けるのではなく、むしろその違和感に留まること。そこから、思考はゆっくりと更新を始める。

偶然性は、この更新において決定的な役割を果たす。予測不可能な出会いは、スキーマの硬直に小さなひびを入れる。その瞬間を見逃さず、ひびの中に入り込むことが、抗う姿勢の本質だ。

文学を読むとき、私たちはしばしば「理解できるもの」ばかりを求めてしまう。けれど、むしろ理解できないものを反芻する時間にこそ価値がある。音楽でも同じだ。耳が慣れていない旋律を、ただ聴き続ける。意味が見えない詩を、何度も読み返す。その反復の中で、世界はわずかに揺れ始める。

この章で語りたいのは、偶然と異物の受容を自らの生活に開く姿勢である。日常を予定調和の連続に閉じ込めないために、私たちはあえて摩擦を選ばなければならない。それは、更新のための痛みを引き受ける覚悟でもあるのだ。


第4章 批評宣言 ―― 精神の更新のために

精神の恒常性は、安定をもたらす。しかしその安定は、更新を拒む硬直とも隣り合わせにある。固定と可塑。その緊張のあいだで、私たちは日々を生きている。

抗うとは、壁を壊すことではない。むしろ、壁と共存しながら、その輪郭を撫で、薄く削り続ける作業だ。スキーマを否定するのではなく、揺らぎを許容すること。その緩やかな動きの中で、精神は更新される。

批評とは、この更新のプロセスに他ならない。世界を、他者を、そして自分自身を、異物として見直すこと。それは新しい意味を生成する営みであり、同時に自らを再定義する試みでもある。

私たちに必要なのは、摩擦を恐れない態度だ。偶然に開かれ、異物に触れ、その不快さに身を委ねること。そこにしか、思考の跳躍は訪れない。

精神の恒常性に安住するな。その恒常性の内部で、揺らぎを受け入れよ。そして、更新を続けよ。それが、この批評の出発点であり、終着点でもある。

こうして書き残すことは、私にとって読書ブログを続ける意味そのものです。

平成生まれです。障がい者福祉関係で仕事をしながら読書を毎日しています。コメントやお問い合わせなど、お気軽にどうぞ。

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