サイバイマンはフォーカス・リーディングがお好き
読書ブログという形をとりながら、私自身の思索と読書体験を交差させてみたいと思います。
1. 導入:サイバイマン=速読信仰のメタファー
『ドラゴンボール』に登場するサイバイマンは、数ばかり増殖し、瞬発力はあっても脆弱である。その姿は、現代の速読信仰──とりわけフォーカス・リーディングの拡散を想起させる。速さこそ正義とされ、深さは顧みられない読書の乱立は、情報化社会における「有害な増殖」の象徴である。
2. 速読サイバイマンの生態
- 特徴1:量を誇示する「1日3冊読破」「年間300冊達成」 数字は踊るが、言葉は残らない。読後に残るのは、羅列されたタイトルだけだ。
- 特徴2:深い対話ができない 内面化の過程を欠き、対話では断片的な引用を繰り返すばかりで深みに届かない。
- 特徴3:自己増殖する快感 次の速読本、次のトレーニング、次のツール。加速の快楽に溺れ、思考は空回りする。
3. フォーカス・リーディングの論理を解剖する
「reading flexibility(読書の柔軟性)」という言葉は耳障りがよい。しかし、実態は「速さ依存の温存」である。バルト『テクストの快楽』が説く多義性の場は、遅さと反復の中でしか生成されない。「柔軟性」というスローガンは、読書を再び線形の効率競争に閉じ込める危うさを孕む。
4. 速さの暴力:深い読書が奪われる
ポール・ド・マン『盲目と洞察』は、読むことを生成の行為と位置づけた。ジョイス『ユリシーズ』やピンチョン『重力の虹』、川端康成『雪国』のようなテクストは、速度を許さない。速さの支配は言葉の遅延を断ち切り、思索の回路を遮断する。
5. 速読の外部:遅読と沈黙
ブルームが『西洋正典』で語る「深い読書(deep reading)」は、遅さと孤独を伴う作業だ。読書会の対話、手書きのノート、声に出して読む練習──いずれも「沈黙の技法」として、速度信仰の外部に静かに開かれている。
6. 結語:沈黙の倫理
読むとは、沈黙を耕すことである。サイバイマンのように数だけを増やしても、そこに花は咲かない。
引用・参考
- Roland Barthes, Le plaisir du texte, 1973.
- Paul de Man, Blindness and Insight, 1971.
- Harold Bloom, The Western Canon, 1994.
- James Joyce, Ulysses, 1922.
- Thomas Pynchon, Gravity’s Rainbow, 1973.
- 川端康成『雪国』, 1947.
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