■株式会社光文社
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日記
立体化する読書 。VR酔いと『死の家の記録』。
昨日の祝日、どうしてもMeta Quest 3に触れてみたくなった。
映像が立体化するという感覚に惹かれたのだ。もっとも、「読書空間の立体化」や「知の三次元化」を目指す――などと聞こえのいい理屈をつけたのは、半ば言い訳にすぎない。
それでも、どこかで確かに「本を立体的に読む」ことへの興味があったのも事実である。
結論から言うと、VR酔いが翌日まで残った。
脳が空間を信じた結果、身体がついていけなかった。
だがその「錯覚」は、まさに文学のようでもある。
ページの上に存在しない人物を、私たちはどれほどリアルに感じ取っているだろう。
映像技術が空間を立体化するなら、文学は意味を立体化する装置なのかもしれない。
電車の中では、ドストエフスキー『死の家の記録』を読み続けた。
まるでVRとは正反対の読書体験。
無限に続く語り、沈殿する意識、現実を溶かす言葉の迷路。
「どんだけ喋るねん」と突っ込みながらも、気づけばこちらの思考の方が酔っていた。
VRとドストエフスキー――両方に共通するのは、没入が生むめまいだ。
この世界を信じるか、それとも疑うか。
私たちはいま、身体と意識の境界をどこまで拡張できるのだろうか。