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日記
夕方の繁華街で、しつこい呼び込みに「うっせえ、まともな仕事をしろ」と吐き捨てた。言い終えた瞬間、胸に沈殿するのは快感ではなく、鈍い後味だった。私はジョン・スチュアート・ミルの自由主義を重んじ、功利主義の態度をよしとしてきたはずだ。他人の自由を尊重し、社会全体の効用が高まるルールを選ぶべきだと自分に言い聞かせている。にもかかわらず、なぜ私は苛烈な言葉を選んだのか。歩きながら呼吸を整え、私は考え直す。「そもそも“まともな仕事”とは何だろう?」
結論を先に言えば、私の違和感は感情的なものではなく、むしろミル派であるがゆえの“衛生感覚”に近い。相手の自由を侵す直接的な暴力ではないにせよ、執拗な勧誘や誇大な暗示は、情報の非対称をてこにして、私の自己決定を実質的に圧迫する。ここにあるのは「法的強制」ではなく「社会的強制」だ。自由の領分を守るには、暴力を禁ずるだけでは足りない。押さない・隠さない・引きやすいという、最低限の衛生基準が要るのではないか。私はこの直感を一つの言葉に束ねることにした。名付けて可逆性功利主義。
可逆性功利主義とは、判断は誤りやすく状況も変わるという現実を前提に、いつでも戻せる設計(可逆性)を先に敷くことで、長期の総効用を最大化しようとする立場だ。ミルの自由尊重と、ルール功利主義の「よいルールが総効用を押し上げる」という洞察を、日常の制度設計に落とし込むための作業語である。私はこれを自分の生活の実務規範にしたい。目安として5つのRを置く。Refund(簡便な返金)/Rehearsal(お試し)/Reverse(撤回・解約の容易さ)/Removability(データ持ち出し)/Rate-limit(圧の上限)。どれも、誤りから戻る通路を太くしておくための工夫だ。
今日の呼び込みに当てはめれば、まず「Reverse」。こちらが「要りません」を二度言えば確実に離れる設計かどうか。次に「Transparency(前提)」として、料金や条件の要約が先に出るか。さらに「Rate-limit」。連絡先を渡したあと、再勧誘にクールダウン期間が設けられているか。もし、これらが無視され、むしろ断りづらくなるよう周到に設計されているなら、それは市場の自由を支える衛生を踏み越えている。私の苛立ちは、自由を嫌う感情ではなく、自由の衛生を守りたいという警報だったのだ、と今は言える。
「機会だけ売るビジネス」に私は長く曖昧な不信を抱いてきた。婚活パーティーや一部のセミナーのように、プロセスだけを提示して成果を暗示する類のものだ。これも、可逆性功利主義で整理できる。期待値(参加人数・年齢分布・過去の成約率)を実データで公開し、マッチしなかった場合の救済(返金・振替・クレジット)を明文化するなら、プロセスの価値は“可視化”され、可逆性が担保される。逆に「高確率で出会える」風のコピーだけで、返金は実質不可能、解約は電話のみ、という設計なら、効用を上げるどころか共通資本である信頼と注意を蝕む。ルールとして許せば、長期の社会的効用は下がる。だから私は「断りやすさ・透明さ・公正さ」を妥協しない。
衣食住に話を移す。私は衣食住を「真っ当」の基本形とみなしているが、それでも価格の適切さはいつも悩ましい。ここでも可逆性が効く。服なら着用回数単価で自分の閾値を決め、返品・修理の可逆性が明快かを見る。食なら栄養/円と廃棄率を考え、容量変更(いわゆるシュリンク)を堂々と表示しているかを確認する。住なら総額表示と解約の動線が簡潔かを重視する。価格の「説明可能性」が担保され、誤った選択から戻る通路が確保されていれば、私は安心して選べる。安心は選択の回数を増やし、試行の総量はマッチングの効率を上げる。これが可逆性の功利主義的な効用上昇だ。
自分の側の反省も書いておくべきだろう。私は路上で怒鳴った。可逆性功利主義を掲げる私が最初に守るべきは、相手の撤回可能性と自分の可逆性だ。怒鳴りつけるのは相手の“退路”を塞ぎ、私自身の「あとで言い方を変える」可逆性も損なう。次からは短く、静かに、「私の断る自由を尊重してください。今回は受けません」と言って、歩みを止めない、視線を外す、足を進める――この行動こそが、私の基準を裏づける。価値は言葉より行動の履歴でしか定着しない。だから日々のログに一行、「今日は誰の時間を守れたか」を書き留めるつもりだ。
可逆性功利主義は、いまのところ私とAIが編んだ造語に過ぎない。しかし、名前は旗であり、旗は人を集め、振る舞いを揃える。名称をどう扱うかもまた可逆性の問題だ。私はこの言葉を広めたいが、同時に乱用で薄まるのは避けたい。だからまずは定義ページと簡素な憲章を置き、出典を明記して引用を歓迎し、営利利用やロゴ化は相談してもらう――そんな運用で、概念そのものの公共性は開きつつ、名称の混乱は避ける。言葉の寿命を延ばすには、過剰な囲い込みでも野放図な拡散でもなく、可逆的な公開がちょうどいい。
振り返れば、今日の出来事はささやかながら、私の中の“自由の衛生”を測るリトマス試験紙だった。断りやすさ、透明さ、公正さ――この三つを携えて街を歩くと、世界の輪郭が別の角度で見えてくる。広告の言葉はどこを強調し、どこを隠しているか。解約の導線は短く、返金の文言は平易か。こちらが「No」を二度言えば、向こうはきちんと引くか。私はこの三つを、宗教的な戒律ではなく、生活の衛生として反復したい。可逆性が確保された場では、試せることが増え、失敗の痛手が減り、結果として挑戦の総量が増える。挑戦が増えれば、社会のマッチングは滑らかになり、長期の効用は底上げされる。これは理屈でもあり、体感でもある。
夜、机に向かい、今日の怒りを別の言葉に翻訳する。私は可逆性功利主義を、まず自分の文章と仕事に適用する。条件は先出しに、結果は誇張せず、撤回は簡単に。読者の時間を尊び、相手の退路を太く取る。そのうえで、街の勧誘にも、制度にも、ゆっくりとこの基準を求めていく。自由は好き勝手の同義語ではない。自由は、互いの退路に配慮する設計とセットで初めて、のびのびと機能する。
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メモ
眼高手低(がんこうしゅてい)・・・理想は高いが、実力が伴わない
“では、統合失調症と抑うつ感に関する先行研究を示しますと、統合失調症で起こる抑うつ状態は、脳の認知機能の処理速度、注意、記憶、実行機能を低下させて、症状が寛解するとこれらの低下が改善される傾向があると報告されています。” P102(『統合失調症の人と働くために知っておきたいこと: みんなが幸せになる精神障害者雇用
』)
“(・・・)問題解決に対して情動発散のコーピングスキルは中長期的には効果が薄く、職業生活の質を下げるということです。” P137(『統合失調症の人と働くために知っておきたいこと: みんなが幸せになる精神障害者雇用
』)
アサーティブコミュニケーション
〇 自分OK 相手OK
× 自分OK 相手NG
× 自分NG 相手OK
× 自分NG 相手NG
腰抜けの思想
“アメリカの物量に敗けたという、金持ちを僻むような僻み根性によって人生が立っています。そうすると志など持てるわけがない。皆さんが志と思っているものは、すべて欲望です。今は欲望のことを志、憧れ、夢だと思っている。とんでもないです。人間の志というのはそういうものではない。魂が行うものです。それが、戦後の日本では持てないのでストレスが溜まります。そのストレスをぶつける先というのは、金を稼ぐことしかもうない。それが今の無限経済成長路線になっているということです。” P197(『日本の美学』)
“ただし独立自尊は、先の戦争と戦後社会の真の反省からしか生まれません。そして皆さんが独立自尊するために、正しく知らなければならない問題の例は平和憲法、日米安保条約とは何かについてです。” P201(『日本の美学』)
“この平和憲法の問題を考え抜いて、自分なりの解答を持つことが重要です。” P201(『日本の美学』)
(ショーレムに宛て)
アーレント「私がどこかに起源をもつとするなら、それはドイツ哲学の伝統です」
没世界主義・・・アコスミスム
メモ|「没世界主義(=世界喪失)」と「アコスミスム」
1) 没世界主義(worldlessness/Weltlosigkeit)
- 意味(アーレントのキーワード)
人々が「共通の世界」を共有できない状態。物や制度、意味体系を共にしないため、行為・言論が根づく場=公共的世界がやせ細ること。『人間の条件』や全体主義論で、近代の問題として強調される。 スタンフォード哲学百科事典+2フィルペーパーズ+2 - 背景・含意
近代では「公共圏の縮退」と「私的利害・経済の肥大」が進み、大衆の孤立や思考の停止を招く――これが全体主義の温床になる、という筋立て。 スタンフォード哲学百科事典+1 - 関連語
「世界喪失/共通世界の喪失」「孤独・孤立」「大衆社会」「行為と発話の衰退」「amor mundi(世界への愛)」など。 The Hedgehog Review+2Gratton Courses+2
2) アコスミスム(acosmism/「無宇宙主義」等の訳もあり)
- 注意:これは“アーレント自身の用語”ではない
アーレントは**ドイツ語の weltlos/Weltlosigkeit(無世界・世界喪失)**を使います。フランス語圏の一部研究・翻訳で weltlos を「アコスミック/アコスミー(acosmique/acosmie)」と訳した慣行が広がり、そこから二次的に「アコスミスム」という呼びが流通した経緯がある――とする詳細な検討が出ています(Faes 2017)。同論文は、この置き換えは慎重であるべきだと論じます。 Persee - 語の来歴(一般哲学史)
「アコスミスム」は本来、**「世界(コスモス)の実在を相対化・否定する立場」**を指す語で、しばしばスピノザ解釈(ヘーゲルら)や宗教社会学(マックス・ヴェーバーの「宗教のアコスミズム」)の脈絡で使われてきました。アーレント文脈での安易な同一視は乱暴になり得ます。 Academia - 実務的なまとめ
アーレントを読むときは、原語の “Weltlosigkeit(世界喪失)” を中心に理解し、「アコスミスム」は一部の翻訳・解釈上の置き換え(=厳密には彼女の造語ではない)と押さえるのが無難です。 Persee
3) どう違う?
- **没世界主義(=世界喪失)**は、政治的・社会的条件(公共圏の縮退、発話・行為の不毛化、孤立化)を指すアーレントの分析概念。
- アコスミスムは、形而上学・宗教社会学系の語で、「世界の無化」を言う別系統の概念史の語。アーレント研究では翻訳上の便宜として併用されたが、用語置換は慎重に、というのが近年の調整です。 スタンフォード哲学百科事典+1
4) 典拠のとりどころ(一次・準一次の道案内)
- 『人間の条件』:共通世界とその喪失(p.57–58 付近を引く二次文献あり)。 The Hedgehog Review
- 『全体主義の起源』:孤独化・大衆の問題、世界喪失の政治的帰結。 スタンフォード哲学百科事典
- 研究ガイド:Kattago “Hannah Arendt on the world”(「世界/地球」「世界喪失」の整理) Gratton Courses
- 用語注意報:Faes(2017)「Acosmisme et aliénation du monde」――weltlos を acosmique/acosmie と直訳する流れへの批判的検討。 Persee
“没世界主義は世界の衰退であり、周辺世界に現前する差異を見極める力の欠如であり、抑圧された民族のただなか様々な立場や展望の多様性を受け入れることの困難である。” P7(『ユダヤ女ハンナ・アーレント』)
“別言すれば、『ラーエル・ファルンハーゲン』を読む際、読者は、「ユダヤ人である限り人間は本当に生きることができない」との不愉快な印象を得るだろう。” P11(『ユダヤ女ハンナ・アーレント』)
