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新・読書日記630(読書日記1970)

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日記

集合精神――よい著作家は自分の精神だけでなく、友人の精神をもつ。ニーチェのこの一節は、今日の私には「古典という友の輪」のことに思える。電車の揺れの中、私はタレブの『身銭を切れ』と福子『逆さまの迷宮 下巻』を膝の上で重ね、ドアの窓に映る自分の顔をときどき見失いながらページをめくった。暗所で本を読むと視力が落ちる――昭和の教えを背に受けつつ、私はやや暗い車内で読む。落ちるのは視力ではなく、迷信の牙だ。見えにくくて疲れることはある。だが、恒久的に壊れるのは、照度ではなく、思考のピントを合わせる習慣を持たないことのほうだろう。

「昭和あるある」は、小さな戒律の集まりだ。鼻血は上を向け、うなぎに梅干しはだめ、牛乳を飲めば背が伸びる、ゲームは脳を壊す、白髪を抜けば増える、血液型で性格が決まる……。それらは、共同体の秩序を素早く配るための一括配送であり、細部の検証よりも即効性を尊んだ生活の知恵だった。だが、知恵が知識へ、知識がエビデンスへ、エビデンスが問い返しへと成長する道を、私たちが歩まない限り、それは「善意のまま古びて、いつか暴力になる」。アーレントのいう“思考の停止”は、命令形の生活格言にも静かに潜む。だからこそ、ニーチェのいう友人=古典が必要なのだ。古典は、時代の常識をいったん括弧に入れる「第二の精神」を貸してくれる。キケロは公共性を、カエサルは決断と文体を、そしてタレブはリスクの方向感覚を、福子は迷宮の裏面地図を、それぞれ私の机の上に並べてくれる。

タレブのピケティ批判は、今日もっとも電車に似合った。r>g――資本収益率は経済成長率より高い傾向にある。数字は威厳を纏うが、タレブはその威厳の足元を叩く。上位1%は固定の顔ぶれか? 分布は薄く平均化されるのではなく、しばしば極端値が支配するファットテールか? 年率の差分は個人の運命に直結するのではなく、破滅確率(ruin)に媒介されてはいないか? 「平均」は体感を裏切る。年収の平均が温かくても、凍える人は凍える。期待値の平穏の背後で、一度の転落がすべてを無にする。身銭を切るとは、平均に眠らず、下振れに目を凝らす修養なのだ。ピケティの叙述が構造の長期傾向を描くなら、タレブは個のリスク履歴を問う。構造と個、この二つを架橋せずに、資本と労働の運命を語ることはできない。資本家の「同一性」は、姓の固定ではなく、リスクの取り方・繋がり方・制度への適合の方法に宿る。だから、r>gの合唱だけでは、誰が、どこで、どうやって上位に出入りするのかを説明できない。出入り口にこそ倫理と政治がある。身銭を切る者と、他人の身銭を切らせる者とを、同じ期待値で測ってはいけない。

電車の吊り革を握り直す。身体は正直で、長い近業には疲労が来る。そこで私は昭和あるあるの棚を一つずつ撫でていく。暗いところで読むと目が悪くなる――疲れるが壊れはしない。テレビに近づくと近視になる――近づける距離の癖と屋外時間の不足が問題なのだ。雷のときは木の下が安全――幹は導体だ、離れよ。血は青い――皮膚というレンズが青に見せる。鼻血は上を向く――喉に流れる、圧迫せよ。これらは単なる豆知識ではない。私にとっては「思考の筋トレ」だ。フーコーなら、権力は禁止だけでなく生産もする、と言うだろう。ここで生産されるのは、小さな恐怖と、従順の習慣だ。デリダなら、二項対立(安全/危険、清潔/不潔、学問/生活)の縫い目をほどけ、と言うだろう。実際、生活の細部にこそ、概念の縫い目がある。私が迷信を一つほどくごとに、生活は少しだけ自由になる。自由は気分ではなく、手順だ。事実を確かめ、仮説を保留し、反例を歓迎し、再記述に耐える。この反復こそが、私の“身銭”だ。

福子の迷宮は、都市の地下道のように描かれる。同じ看板、同じ階段、同じ曲り角、しかし出る場所が違う。思い込みは、方向音痴と似ている。知っているつもりの地図を片手に、私は毎回同じ道で迷う。そこで効くのが、社会学の冷や水だ。相関と因果は違う。世論は質問文に左右される。世代論の快感は、APC問題(Age-Period-Cohort)の三つ巴で簡単に崩れる。マズローは五段のピラミッドで凍ったままではない。ホーソン効果の伝説は再分析でほぐれる。こうした知見は、散文的で、ロマンを削ぐ。けれど、散文に耐えることが、私の文学を救う。なぜなら、文学は“嘘が許される領域”ではなく、“真実の密度を上げる装置”だからだ。作者の気持ちは一つではない。語り手と作者は別人だ。賢治はやさしいだけではない。春樹は軽いだけではない。こうした当たり前を、私は毎回、読み直しながら取り戻す。古典は友だ。だが、友は都合のよい頷き役ではない。友は、私の弱いところを指さし、「そこ、推論が飛んでいるよ」と小声で言う。

吊り広告が揺れる。健康食品、資格、投資、自己投資、そして「令和の新常識」。時代は“新”というステッカーを誇らしげに貼るが、情報の多くは昭和と同じ形式で流れていく。命令形、恐怖の煽り、成功者の語り、平均値の慰め。だから私は古典に戻る。戻るとは、懐古ではない。二つの精神を持つことだ。自分の経験を一つ、友の経験をもう一つ。キケロの共和国感覚、カエサルの簡潔、ニーチェの断章、タレブの尾リスク感受性、福子の反転地図。これらを束ねて、私は“今日の生活”を測り直す。暗い車内でページが見えにくくなると、スマホの明るさを少し上げる。グレアが強ければ下げる。20分読めば、20秒だけ遠くのトンネルの闇を見る。こういう些細な調整が、迷信から距離を取る第一歩だ。身体の事実に合わせて環境を整えることは、思想の訓練と同じ順序をもつ。まず観察、つぎに仮説、ついで検証、最後に再記述。私は、生活の工学を、精神の倫理として反復したい。

ピケティを論じるとき、私はタレブに肩を借り、タレブを論じるとき、私はピケティに肩を借りる。敵対ではなく、相互検証として。資本と労働、平均と分布、構造と個、長期と破滅――これらの対は、二項ではなく、双眼の視野だ。二つの目が重なる部分に、立体が立ち上がる。昭和あるあるの誤解を笑い飛ばすのは簡単だ。だが、笑いののちに“なぜそう信じられたのか”を問うとき、私の読書は倫理に触れる。恐れと善意と教育の不足、共同体の時間短縮の欲望、制度の手触りの悪さ。それらが生んだ便宜的なルールは、人を守るが、人を縛る。古典はここで役に立つ。彼らは、長い時間を通過し、誤解に揉まれ、なお残った文を持っている。だから私は本を友と呼ぶ。友は、私を褒めず、私を見捨てず、ただ反論する。反論は贈り物だ。身銭を切るとは、反論を受け取ることでもある。

電車が地上に出る。光が差し、活字が急にくっきりする。明るいほうが目に悪いか? そんなことはない。まぶしさが悪いのだ。思想も同じだ。眩しいスローガンは、すぐに私を疲れさせる。適度な明るさ――それは、概念の影をも可視化する照度である。影が見えるとき、私は立体をつかむ。そして、友の声が重なる。「集合精神」。私は一人で考え、二人で書き、三人で読み直す。ニーチェ、キケロ、カエサル、タレブ、福子――彼らは今日、私の背後に立ち、昭和の迷信の埃を払い、令和の迷信の芽を指さす。私は頷く。読書は、古い埃と新しい芽の手入れだ。さて、次の駅までの数分、あなた(=未来の私)はどの迷信を手放し、どの友を机の上に呼び戻すだろうか?

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読書ブログを通じて浮かび上がる小さな思索の断片を、これからも綴っていきたいと思います。

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