ラボ読書梟

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新・読書日記641(読書日記1981)

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日記

『復活』が下巻に入り、ネフリュードフが土地所有をめぐって揺れ続ける姿を追いかけていると、どうしてもページの外側――現代の国際経済や国家のあり方――に思考がはみ出していくのである。土地とは、ロシア文学において単なる不動産ではなく、身分制、歴史、罪責、そして「誰が誰の上に立っているのか」という権力構造そのものである。ネフリュードフにとって土地を手放すか保持するかは、単に資産の整理ではなく、自分の生き方の総決算に関わる倫理的決断である。だからこそ、彼の逡巡は長く、重く、時に読者を苛立たせるほどにねちっこく描かれるのである。
その一方で、ふと現代に視線を転じると、ロシアという国は今なお「広大な土地」を抱えながら、必ずしも経済的な豊かさでトップクラスにあるわけではないという事実が立ち現れる。ユーラシア大陸にまたがる巨大な国土、豊富な資源、軍事大国としての存在感――そうした「大きさ」のイメージに比して、GDPという尺度で眺めたときの位置づけは意外なほど控えめである。そこで私は、きわめて素朴な疑問から、国土という「面積」と経済的豊かさの関係を、もう少し極端なかたちで可視化してみたくなった。それが「1平方メートルあたりのGDP」という、やや悪ふざけのような指標を自作して眺めてみるという行為である。
やり方は単純である。各国の名目GDPを、その国の国土面積(m²)で割るだけでよい。通常そんなランキングは誰も公表しないし、真面目な経済学者なら鼻で笑うかもしれないが、こういう無理やりな指標づくりには、世界の別の顔がちらりと見える面白さがある。計算してみると、案の定というべきか、ルクセンブルクやシンガポール、マカオといった小国・都市国家が、とんでもない値でトップに躍り出る。限られた土地の上に、金融・観光・サービスなどの高付加価値産業がこれでもかと積み上がっているのだから、「土地の経済密度」は桁違いである。
ルクセンブルクの数字はとりわけ印象的である。平均年収がおよそ1250万円という水準でありながら、失業率は低く、所得格差も極端には開いていないと言われる。単に税金が安いから金持ちが集まった、という単純な図ではない。多言語国家としての厚い人的資本、金融業を軸とした高度なサービス経済、そして小国ゆえの「国家としての一体感」を政策のレベルで維持してきた歴史――そうしたものが、1平方メートルあたりのGDPという奇妙な指標の裏に、静かに横たわっている。小さな国だからこそ、制度設計と社会の方向性を、ある程度の一貫性をもって選び取ることができたのだろう。
日本の数字も、改めて眺めると興味深い。面積でいえば世界的に見て中堅クラスだが、多人口と産業の多様性を抱えつつ、1平方メートルあたりのGDPで見ればきちんと「ランキングに食い込む」位置を確保している。停滞や衰退が常に語られる国でありながら、土地当たりの生産性という妙な尺度で測りなおすと、「まだまだ相当に厚みのある国」であることが数値の側からも示されてしまう。このギャップに、少しほっとするような、しかし同時にどこかモヤモヤする感情も湧いてくる。潜在力はあるのに、うまく使いこなせていないのではないか、という問いが背後から追いかけてくるからである。
こうした数字遊びをしていると、再び『復活』における土地の重さが違った意味合いで迫ってくる。ネフリュードフが相続した土地は、彼の内面で言えば「罪の継承」であり、社会的視点から見れば「構造的不正義の象徴」である。彼が土地を手放すか否かを迷うとき、それは自分だけが救われるための贖罪ではなく、「所有」と「搾取」を可能にしている世界そのものから身を引けるのか、という実験でもある。しかしトルストイは、そこから抜け出すことの困難さを残酷なまでに描く。土地を与えればそれで済むのか、所有を放棄すれば過去の罪は消えるのか、善意の改革は本当に他者を救うのか――そのどれもが自明ではない。
ここで一度ルクセンブルクの話に戻ると、小国の成功は、単純な「土地の効率化」だけでは説明できないことが見えてくる。金融業中心という経済構造の選択に加え、それを国民の生活の質向上と結びつける制度設計――再分配、教育、社会保障など――が緻密に組み合わさっている。つまり、土地をどう使うかという問題は、単に市場に任せれば勝手に解決するわけではなく、「どのような社会をよしとするか」という価値判断と不可分である。ここにおいて、トルストイの文学的問いと、現代のマクロ経済的な問いが、意外な形で接続する。「土地を持つ」とは、単に有利なポジションを確保することではなく、「その土地のうえにどのような関係を築くか」という倫理的・政治的選択に他ならない。
ネフリュードフは、自分が持つ土地を農民に譲り渡すことを思いつき、その具体的な形を模索する。しかし、その過程で彼は、自分の善意が必ずしも相手にとっての善ではない、という事実に何度もぶつかる。制度的な枠組みの中で行われる「良心的な行為」は、ともすればまた別の不平等や依存を生み出してしまう。これを現代風に言えば、善意の政策や開発プロジェクトが、意図せざる副作用を生むことに似ている。ルクセンブルクのような小国の成功に学ぼうとするときも、単に制度を輸入すればよいわけではなく、その背後にある歴史的文脈や人口規模、社会の信頼構造を含めて考えざるをえない。
その意味で、「1平方メートルあたりのGDP」という指標には、便利さと同時に、ある種の残酷さがある。土地を数字に還元し、国土を一様な「面」として扱うとき、そこには人々の生活の差異や歴史的文脈は一旦忘却される。シンガポールの1平方メートルと、シベリアの1平方メートルは、物理的な意味では同じ面積だが、人生の質・制度の設計・安全保障上のリスクなどを含めれば、まったく異なる世界である。それでも私たちは、あえてこうした粗い指標をつくり、世界を別の角度から見てみようとする。その行為自体に、「世界の見え方をずらしたい」という軽い遊び心と、同時に「本当に豊かさとは何なのか」という真面目な問いが同居している。
『復活』を「土地活用」という観点から読むというのは、一見すると凡庸な現代化読みのようでいて、実はトルストイが意図した問いにかなり近いのではないかと思う。土地をどう使うかは、経済合理性だけの問題ではない。そこには、誰が決めるのか、誰が負担するのか、誰の声が聞かれていないのか、といった権力と倫理の問題が絡みつく。ネフリュードフは、自分の土地を「手放す」ことで責任から逃れたくもあり、「使い方を変える」ことで新しい正義を実現したいとも願う。その揺れは、今日の私たちが、国家や企業のレベルで「持続可能性」や「格差是正」を語るときの揺れにもよく似ている。
明日にはタレブも読了する予定である。タレブが強調するのは、不確実性の世界において「壊れにくさ」だけでなく、「むしろ変動やショックから利益を得る構造」をどうつくるか、という視点である。これを土地と結びつけて考えるなら、「広大であること」や「豊富な資源を持つこと」が必ずしも有利とは限らないことが見えてくる。むしろ変化に応じて柔軟に構造を変えられる、小さく機動的な単位――都市国家や小国――が、アンチフラジルな構造を持ちやすいのかもしれない。ロシアのような大国が制度変更に何十年もかかる一方で、ルクセンブルクやシンガポールは数年単位で政策をチューニングできる。ここにもまた、「大きさ」と「強さ」が一致しない世界が広がっている。
こうして『復活』と世界のGDP、そしてタレブの思索が頭の中でごちゃ混ぜになってくると、読書はもはや「物語を追う行為」ではなく、「複数の尺度を行き来しながら世界を測り直す遊び」になってくる。ネフリュードフの土地は、ロシアの土地であり、同時に私たち自身が持っている何らかの「権利」や「特権」の比喩でもある。ルクセンブルクの1平方メートルあたりGDPは、単なる数字でありながら、「小ささ」と「豊かさ」をめぐる国家像の実験結果でもある。そして、私が電卓片手にそうした数字をいじりながら『復活』を読む時間そのものが、「自分は何を所有し、どう手放し、どこまで責任を引き受けるべきか」という静かな反問として戻ってくるのである。
果たして、ネフリュードフが苦悩した土地の問題を、私たちはいま、どの尺度で測り、どんな責任の単位として引き受けていくべきなのだろうか。

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