雨宮処凛『この国の不寛容の果てに : 相模原事件と私たちの時代』大月書店 (2019年) を読む。
「貧困者に対して政府は面倒をみるべきである」という質問項目に対して「そう思わない」と答えた人は、日本は38%、アメリカ28%、その他先進国1桁であったそうである。
個人主義のアメリカよりも高い日本。
僕は端的に、このデータに不気味さを感じる。
個人的に思うのは、日本は精神論が根強いことではないだろうか。
精神は物質より上回る。
ルース・ベネディクトは『菊と刀』においてアメリカと日本の価値観を詳細に分析した。
日本は物質よりも精神に重きを置いたことによって大敗したというのが彼の見方であったが、それは当然のことであるように思える。
僕が中学生だったのはそんな「自己責任論」が強かった2000年代。
当時はそんなこと全く知らなかったうえ、意識にすら及ばなかった。
「根性が足りねえ」
「気の持ちようだ」
このようにして部活で怒られた回数は数えきれない。
今思えば、このような価値観が相模原事件に繋がる土台となっていたのだろう。
日本はある意味非科学的な国である。
科学を重んじているようで、実態はそうでもない。
「うつは甘え」が端的に示しているではないか。
数字にも弱い。利息の計算すらできない人が多い。
精神論と自己責任論は無知から来るものではないだろうか。
つづく
【2024年現在の追記・補足】
今読んでいる小室直樹『危機の構造』のなかで、日本人がいかに社会科学や資本主義について無知であるかが語られている。今日それを新・読書日記17に書きたいと思う。