今日も引き続き、昨日読んだ『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』のつづきを読む。
今日のテーマは従軍慰安婦問題だ。
戦争を経験したおじいさんが「現実を教える」と言い、なぜ慰安婦がいたのかを学生に伝える。
しかし、著者はそのおじいさんの論理構造は、どこまでも男性優位社会のイデオロギーに内包された形のままであることに違和感を覚える。
上野千鶴子氏は「現実」と「事実」は違うと指摘する。
それは、加害者側と被害者側の経験内容の落差が大きいためであるとする。
僕は心のなかで上野氏に畏敬の念を抱く。
言葉の重みを誰よりも理解し、誰よりも明確に表現しているように思える。
上野氏の論文や文献は岩波文庫で読める。
『ナショナリズムとジェンダー』を読まずにいられない。
白水社クセジュ『唯物論』のつづきを読む。
観念論者の主張に僕は説得力を感じた。
全ての現象が物質に還元されるという事実を、身体という「物質」に包まれている人間がどうやって「精神」と「物質」を分けることができるのだろうか。
とはいえ、僕は唯心論には懐疑的である。
本書によれば、唯物論は複雑であり、唯物の歴史を語ることは困難であるという。
それは歴史的には事後的に「唯物論」という言葉が生まれたことと、様々な学問において、唯物論と非唯物論との境界付けが難しいだからという。
僕はとりあえずイデオロギーのようなものだな、と解釈した。
考え方の「鋳型」であって、それはつまり、思考方法のようなものだ。
というのは素人の考えなので、もう少し読み進めたいと思う。
つづく
公開日2022-01-11