石川美子『ロラン・バルト』中公新書(2015年)を読む。
僕がこの本に関心を持った主な理由は、上野千鶴子氏の著書に時々ロラン・バルトのお話が出てきたためであった。
(こちらにも↓)
僕の見立てでは、上野氏が女子高校生を「記号」と表現しているところから、ロランがソシュール言語学と神話を組み合わせて論じた『モードの体系』における「記号」という概念を、上野氏が何らかの形で応用または借用したのだと思われる。
本書は自伝的な内容となっている。
世界大戦を二回も経験していながらも、また、肺結核に侵されながらも地道に読書を重ねて論文を執筆していた苦労人であり、そして努力家でもあるロランの姿が際立つ。
本書を読むと、ロランもまた様々な学者に影響を受けていることが分かる。
彼はサルトルやカミュ、プルーストなどの文学に読みふけっていた。
また、マルクス主義であったことも書かれている。
ロランは言葉と衣服に共通点を見出す。
言葉というものは自分を表現するものでもあり、衣服もまた、自分を表現するものである。
おそらく、このわずかな接近点においてもロランは深いレベルでその構造になんらかの可能性を発見したのかもしれない。
ロラン・バルトを理解することはフェミニズムを理解することでもあり、フェミニズムを理解することは今日の政治的困難、社会問題を理解することになると僕は考える。
つづく
公開日2022-01-20