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読書日記51

大竹文雄『競争社会の歩き方』中公新書 (2017)

つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/04/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%9848/

本書の骨格がハッキリ見えた。

それは、競争によって「個」の特性が見えてくるということであった。

本書ではピース又吉氏の『火花』が紹介された。

漫才は激しい競争のなかで磨かれていくのであって、たとえ落ちこぼれようとも、生き残った漫才師の技術は競争によって生まれた、ということが示されていると著者は指摘する。

そして、落ちこぼれても独自の技術を磨き、勝てる分野を開拓すれば才能は磨かれるだろうし、そのようにして分業化し、全体的にレベルが底上げされるのだという主旨であった。

また、実験では競争の概念のない教育を受けると、利他性に欠ける価値観が生まれやすいということも示された。

どこまでも競争を肯定しようとする、経済学者の信念なのだろうか。

僕は考えた。

以上の文脈からすれば、競争は正しい。

たとえ負けようとも、自分の強みを生かせば比較優位の原理で社会も豊かになっていく。

うまく機能すれば、ということが前提になってくる。

実際はどうだろうか。

そもそも現実は競争で溢れているのだろうか。

負けたひとは即退場の世界なのだろうか。

世の中は別に、トーナメントが全てではない。

負けるとか、勝つとか、それは実は目に見えない虚構のような気もしないでもない。

理論がどこまで現実に組み込めるのか。

どこまで正確に組み込めるのか。

これが行動経済学の課題であるように見える。

つづく

公開日2022-01-22

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