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読書日記55

中山元『正義論の名著』ちくま新書 (2011)

つづきを読み進めた。

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その後はキケロ、アウグスティヌス、トマス・アクィナスとつづいていく。

キケロは奴隷でも正義は守られるべきであると主張する。

正義という力はどこまでも強力である。それは、山賊内においても仲間割れせずにうまく活動するには正義を必要とするという帰結からも判断できる。

正義は国家の利益に還元され公共善となる。ゆえに、正義は絶対的に必要であると説く。

しかしながら、その正義とは何かに関しては厳密には規定できていない。

そのあとにつづく2人に関しては、神学的な要素が絡む。

アウグスティヌスは従来の正義観自体を否定し、神に従うことのみによって善が達成されると説いた。つまり神に服従することがそのまま正しい人、正義となる。

トマスはアウグスティヌスとアリストテレスの考えを融合させようとする。

人々の目的は幸福の追求であり、それは神を見ること、享受することであるとした。

支配者のなすべきことは、徳を高め、国家の目的を共通善として統治し、人々を天上の浄福に向けて準備させることであると主張した。

正義と徳をくっつけたのがトマスであった。

世俗の時代においては、この理論は受け入れがたいのかもしれないが、それは日本人的な考え方なのだろうか。

ここはさらに読み進めていかなければみえてこない。

次回は近代、現代とつづく

つづく

公開日2022-01-23

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