ジュディス・バトラー『欲望の正体』堀之内出版(2019年)を読む。
眠りの前の一時。この時間には厳しすぎるほどに難関な本であった。
欲望の正体は主体の複数性にある、ということが訳者解説に書いてあったのだが、さっぱりわからない。
ヘーゲル、スピノザ、カント、ラカン、ニーチェ、ドゥルーズ、フーコー。
現代哲学者の果てしないほど深淵な議論が錯綜する。
こんな本をどういうアプローチで解読していけばいいのだろう。
著者はフェミニズム思想の代表格とされる。
まずは上野千鶴子氏から学びとるしかないのだろうか。
邦訳本は往々にして難解だ。
なぜ欲望なのか。
端的に、資本主義を欲望の視点から分析してみたいからである。
つづく
公開日2022-01-23
追記:
2024年4月4日現在も、ジュディス・バトラーの難解な文章にはついていけない。
この日記を書いてから約2年の月日が流れた。
バトラーはいわゆる社会構成主義」に依拠しているのは理解はできた。
その間に自分は生物学とジェンダーに関する本をいくつか読んできたが、バトラーのような考えが突飛ではないことは確かである。
テクノロジーが進めば進むほど、ますます男女間の差異は縮まることは確かだと思われた。