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エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』東京創元社 (1952) 読了

         エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』東京創元社 (1952)

    

読み終えたとき、このタイトルの意味について考えた。

端的に言えば、「皮肉」に近い。

この本はフランクフフルト学派、フロム氏が書いた。

フランクフルト学派は、ナチズムは何故起きたのか解明しようとした学派のことである。

長くなるので短くまとめ、最後に感想を書く。

何故「皮肉」であるのかを説明すれば「要約」にもなると僕は思う。

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フロムは中世から20世紀の歴史を「精神分析的」に説明した。

中世は「ギルド」という組合が経済の秩序を保っていたという。

「個人」という概念はまだない。全ては「協力的」に事が進んでいたという。

フロムはそれを「第一次的絆」と呼んだ。連帯感のようなものである。

中世の終盤にそれが崩れていった。商業が「資本主義」に近づくにつれ、ギルドが機能しなくなり、格差が始まり、人は競争にさらされた。「自己責任」の到来。

連帯感も失われ、人は「孤立」し、同時に「無価値感」を覚える。

このプロセスが、「自己を否定すれば救われる」と、禁欲主義と勤労を促すプロテスタンティズムが浸透する土壌をつくる。

何故ナチが発生したのか。これは簡単には説明はできないとするも、いくつもの例をフロムはあげる。

ハイパーインフレ、イギリス帝国の台頭、WW1の敗北etc.

フロムによると、これらはフロイトの理論で説明される。

サディズム、マゾヒズムは対象を除去しようとする性質を持つ。

人々が抱く「不安」とナチの関係は、マゾヒズム的に説明できるとされる。

つまりは「孤立感、無力感」への破壊衝動が全体主義の動機となる。

サディズム(≒ヒトラー)も同様、自身の「無力感、自信のなさ」への破壊衝動があった。

ヒトラーも自身の若かりし頃の無価値感を『我が闘争』に綴っている。

ナルシシズムは自信のなさの表れであるとフロムは指摘する。

「自由からの逃走」とはつまり、全体主義への「条件」である、と僕は解釈した。

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感想

書ききれなかったが、何故自由から逃げるのか、フロムは言う。

「人々は自分で考える思考力を奪われた」

これはプロパガンダと話が繋がる。(ここでは割愛)

僕は読み終えて自分の信念が強化されたように思う。

思考停止は破滅への一歩である、と。

長くなってしまったのでここまでで感想とする。

別の記事で今回分かったことをいろいろ書きたい。

つづく

公開日2022/1/4

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