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仲正昌樹『「不自由」論』ちくま新書 (2003) 読了

仲正昌樹『「不自由」論』ちくま新書 (2003)

  

最後まで読んで、「不自由」とは何を意味するのか?に対する僕なりの答えは、

「不自由とは、規定の不可能性」

である。

ゆとり教育の目指した「主体性」は、何を持って主体的であるとみなせるのか、と問われても抽象的な答えに留まる。

「自分で考え、自ら行動し、、、、、云々」のように。

他の言葉も同様である。

仲正氏は、西洋から輸入した概念を「無自覚」に取り入れることによって、それが自然的な在り方であると「思い込んでしまう」ようになると指摘する。

コミュニケーションがたんなるお喋りではないことは、

「コミュニケーション」という言葉の起源から辿って政治理論を展開したアーレントの思想を読めばわかる。

(コミュニケーションの意味についてこちらに)

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/03/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%9815/

日本は西洋の言葉の意味も正確に分からずに、しかもそれを独自の仕方で解釈し、その解釈が当たり前のようになっていく。

就活の「コミュニケーション能力」が典型的である。

規定しようともしなければ、規定すら不可能というのが、後半を読めばわかる。

「ゆとり」とはどの程度の時間なのか。

「ゆとり」から「主体性」が生まれる根拠は。

ハッキリ応えることをしない。否。正確にはできない。

本書は「ゆとり」と「自由」に関する考察を思想史から辿って考察する内容となっている。

僕は読み終えて、「自由」の規定不可能性と、それらの概念の安易な輸入によって逆説的に「不自由」になると解釈した。

つづく

公開日2022/1/5

  

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