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読書日記105

伊藤守『コミュニケーション資本主義と<コモン>の探求 : ポスト・ヒューマン時代のメディア論』東京大学出版会(2019)

   

つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/09/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98104/

   

アメリカにおいては「どんな言説なのか」よりも、「誰の言説なのか」に人は左右される。

つまり言葉の「交換価値(言説の提唱者)」が「使用価値(言説の内容)」を上回る自体となっている。

政治学者ディーンによれば、この原因は端的に経済の不平等が生み出したとする。

もはやソーシャルメディアは市場の原理によって性質が変わり、メディアそのものが資本主義化したというのが第二章のおおまかな流れであった。

    

ここまで読んで、僕はハーバーマスの「討議倫理」は弱体化されているように感じた。

極端な話で言えば、公開討論の場に参加している一般人の大半が、仮にSNS等を通してインフルエンサーの影響をもろに受け、その価値観に浸っている場合、まさに今述べたような「交換価値」の高い意見の交換の場になる。

そのような危険性を秘めているということになるだろう。

    

収益が最大に得られるように設計されたアルゴリズムによる情報の「資本主義化」は、日本においてどのような挙動を今後示していくのだろうか。

動向に注目したい。

つづく

公開日2022-02-05

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