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リチャード・ランガム『善と悪のパラドックス : ヒトの進化<自己家畜化>の歴史』NTT出版(2020年) 読了

リチャード・ランガム『善と悪のパラドックス : ヒトの進化<自己家畜化>の歴史』NTT出版(2020年)

  

こちらは2022-02-19に記した『善と悪のパラドックス : ヒトの進化<自己家畜化>の歴史』のまとめと感想です。本書が執筆されて4年経とうとしていることを鑑みて、この本の魅力を伝えるため、今回この場に公開することといたします。本書について詳しく知りたい方は実際に手に取って精読されることをお勧めします。

    

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第一章

まず第一章を読み終える。

ざっくりまとめる。





本書はチンパンジーとボノボの行動研究の知見や歴史学、生物学などから人間の善悪を考察する本である。

チンパンジーは一般的に攻撃性が著しく高いとされ、ボノボはそれと対照で穏やかとされる。

一章の結論としては、比較的穏やかなボノボですら、人間よりも攻撃性を有するという帰結であった。





世界中のあらゆる部族において数少ない、国家の干渉をいっさい受けない無政府状態であったニューギニアのダニ族についての研究では、残酷な暴力行為があったものの、それでもボノボよりも攻撃性は少ないという結論であった。





集団という単位でみればそのような帰結になる。

その一方で、家庭内暴力に関してはしばしば人間も男性は攻撃性を示す。

この点についても、それでも他の類人猿の攻撃性には全く及ばないという。





以上が第一章のまとめである。

本書はルソーの性善説、ホッブズの性悪説を掘り下げる本であるが、タイトルの通り、人間は両方の性質を併せ持っているように見える。

ところが類人猿と比べると攻撃性は著しく低い。




 
「自己家畜化」というタイトルを鑑みれば、おそらく社会という観念的なものによって、人類の特性はなんらかの影響を強く受けていると思われる。それが先天的なものか、後天的なものなのかが争点になってくると思われる。

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第二章

人類学者によるフィールドワークが明かしたのは、人間はチンパンジーよりも、ボノボよりも攻撃性が低いことであった。

しかしながら、攻撃性は低いものの、戦争においては類人猿を遥かに上回る残虐性を示す。

第二章は人間の攻撃性について脳科学から考察する。

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人間の攻撃パターンには2種類あるとされる。

・「反応的攻撃性」・・・衝動的な暴力

・「能動的攻撃性」・・・計画的犯行

容疑者に認められる性質

・大脳辺縁系のネットワークが活発

→感情の起伏が激しい

・セロトニン受容体濃度が低い→反応的攻撃性が高くなる

・扁桃体が不活発→能動的攻撃性が高くなる

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厳密には統計できてはいないが、犯罪においては明らかに「反応的攻撃」のほうが多く占めるという。

「サイコパス」とは、能動的攻撃性の高い人物を指す。

扁桃体は感情の抑制に関わる。つまり、不活発であると道徳的なブレーキが効かず、計画的な犯行が行われる可能性が高くなる。

攻撃性は男性ホルモンの「テストステロン」の濃度やセロトニン受容体の濃度など、生理学的な要素が関わる。男性は女性より男性ホルモンの濃度が高いゆえに攻撃的になりやすいのは脳科学的に説明が付く。

しかしかながら、何によって扁桃体の活動が不活発になるのか、なぜサイコパスは生まれるのか、何故感情の起伏が激しいのかを「社会的」なレベルから説明するのは難しい。

遺伝と環境の区別が難しいのは『格差という虚構』においても指摘されている。

以上が二章のまとめである。

余談ではあるが、新幹線殺傷事件における小島氏は「能動的攻撃性」が高いことは間違いなく、サイコパスに分類されると思われる。

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第三章

二章では脳科学から暴力について考察された。

扁桃体は感情の抑制機能を司る。扁桃体がうまく機能しなければ感情は抑制されず暴力に繋がる。

また、大脳辺縁系がネットワークが活発な脳は感情の起伏が激しい。

セロトニンの受容体やテストステロンも暴力と関係がある。

いずれにせよ、人間は暴力に至るまでの閾値が他の類人猿よりも高い為、突発的に暴力に走ることは野生の猿より少ない。

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三章は家畜化に関する長い間の議論の検討がなされた。

まず犬とオオカミに注目する。

「飼い慣らされた」状態と、「家畜化された」状態を考える。

例え飼い慣らされたとしても、オオカミの頭をポンと叩いたことによって大ケガをした例が紹介された。

一方で、一般的な野生の犬は「飼い慣らされた」状態であれ、人間に対する攻撃性はオオカミよりも低い。

この2種の対比は後半で大きな伏線となる。

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人間が「飼い慣らされた」状態なのか、「家畜化された」状態なのかは自明である。

著者は、人間は「家畜化された」と考える。

何故ならば、犬とオオカミの例から分かるように、人間は少しの刺激では暴力に走ることはない。オオカミとは比べ物にならないほど人間は閾値が高い。(=大きな刺激がない限り暴力には走らない)

ブルーメンバッハという学者は、人間は「家畜化された」生き物であると考えた。

野性児ペーターの観察を巡っては思想家ルソーなどから批判を受けたが、結論としては反証に成功し、家畜化されたことを示した。

ところが、「何によって」人間は家畜化されたのかまでは明らかにされなかった。

ブルーメンバッハのあとに生まれるダーウィンはこの問題に頭を悩ませた。

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ダーウィンも人間が家畜化された生き物であることを認めた。

彼は歴史を参照し、人間が人為的に淘汰されることは不可能と示した。ゆえに人間は自然淘汰を経て家畜化されたと指摘する。

文化相対主義者ミードも同意した。

生物学が混乱していた時代には、人間は集団によって家畜化の度合いが異なるという説も普及し、ナチスや優勢学と結び付いてしまうこともあった。

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遠い時代にまで遡ると、人間の祖先は今よりも脳が大きく、身長が大きかったとされる。

相対的に今は小さくなっているとされる。

脳が小さくなったことによって逆に生き残る結果となった。

野性動物は家畜化されると脳が収縮することが確認されている。

著者によれば、犬がオオカミから進化した過程と今の人類が進歩した過程が相似しているという。

つまりは野性→家畜という流れを人類が経験したということである。

脳が大昔と比べて小さくなっているということも家畜化の説明になる。

ここまでが三章のまとめになる。

余談ではあるが、『human kind希望の歴史』において、脳が小さくなったことによって今の人類はネアンデルタール人を凌いだと書かれている。

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第四章

20世紀にダーウィンが解決させることのできなかった問題に、ロシアのベリャーエフという学者が答えを出す。

野性のキツネを飼い、集団のなかにごくわずかに発生する、反応的攻撃性の弱い種(=従順な種)を繁殖させ、野性種と家畜化を比較した。

割合としては、10匹いれば9匹は人に対して唸ったが、1匹は大人しかった。

ベリャーエフはそのおとなしい一匹を第一世代とし、繁殖させる。

研究結果は、野性のキツネは繁殖期が年に一回であったが、おとなしいキツネが第十世代にもなると年に三回に増えた。

繁殖期が増えると生まれてから死ぬ子供も増えたが、繁殖が季節によって左右されなくなり、「縛り」から解放されることによって結果的には多くの子孫を残せるようになった。

のちに、いったん「家畜化」された種が野性の環境に戻っても再び野性化されるのかといった疑問に関しては、長い時間をかけなければ戻ることはないと示された。

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遺伝子学の観点からも研究が行われた。

絶滅したネアンデルタール人とデニソワ人の二種類とホモ・サピエンスを比較し、現在までに積極的に選択された遺伝子をリストアップした。

犬、猫、馬、牛の4種においても同様にリストアップされた。

そして人類と4種の動物、共に、積極的に採用された遺伝子41種類が発見される。

なかでも「BRAF遺伝子」は人間が「自己家畜化」されたという説明を強化する、大きな発見とされる。

著者は言う。

「自然淘汰は必ずしも動物に最適なデザインをもたらさない」と。

以上が四章のまとめになる。

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第五章

ベリャーエフは、反応的攻撃性を抑える選択と家畜化について考えた。

著者は家畜化の定義をブルーメンバッハにしたがって「遺伝的適応の結果として従順になる」とする。

また、自己家畜化とは同じ種のなかで起きる単一のプロセスとした。

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著者は、人類の自己家畜化について解明するためには、現時点では人類に一番近いとされる類人猿との比較が妥当とする。

そこで再度ボノボとチンパンジーを引っ張り出す。

ボノボは食べ物をお互いに分け合うが、チンパンジーは奪い合う。

ボノボは穏やかで、反応的攻撃性は低い。

チンパンジーは喧嘩っぱやく反応的攻撃性が高い。

ここでベドモルフォーシス(幼形形態形成)とペラモルフォーシス(過大形成形態)を持ち出す。

ゴリラやオランウータンの頭蓋骨はチンパンジーと似ていて、ボノボとは違うことが分かった。

つまり、ボノボは彼らとの共通の祖先から進化した。すなわちボノボは彼らのペドモルフォーシスであると示される。

つまり、ボノボはチンパンジーから進化したことになる。

繁殖期に関しても、ゴリラやチンパンジーは一定の期間と定まっているが、ボノボはそうではない。

四章では、家畜化されたキツネは繁殖期が一定の季節に定まらなくなったことが示された。

つまり、家畜化というものはあらゆる種において共通する特徴がある。

著者によれば、ボノボは自己家畜化された可能性が高いという。

以上が5章の重要な部分のまとめである。

ここまで読んで、なぜ人間には決まった繁殖期がないのか理解できた気がした。

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第六章

ボノボはチンパンジーから進化した可能性が高いことが判明した。

では今のホモ・サピエンスはどのようにして進化していったのだろうか。

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ヒトは進化の過程で反応的攻撃性を抑える淘汰を経験したことは間違いない。

問題は何がそうさせたか、である。

ホモ・サピエンスの誕生は約30万年前とされる。

その時代は別の人種も存在していた。

約30万年前から自己家畜化がなされたかもしれない。

その根拠に「協調性」がある。

ネアンデルタール人と大きな違いは「協調性」と「社会的学習能力」とされる。

それを説明する考古学的な証拠が揃っている。

ネアンデルタール人と脳の大きさはそこまで差がない。

しかし協調性はすでに自己家畜化されていることが前提となっているので、協調性から説明することはできないとされた。

そこで協調性の進化には「寛容性」が影響しているのではないかと著者は言う。

この分野を研究している人はいないとされる。

しかし、寛容性が協調性に影響を与えるという証拠は揃っている。

7章では反応的攻撃性を自ら罰することで家畜化に繋がっていくことを検証していく。

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第七章

ホモ・サピエンスがネアンデルタール人より優れている点は「協調性」と「社会的学習能力」の二点とされる。

その協調性は「寛容性」によって影響を与えられているという証拠は存在する。

しかしながら、いずれにせよ反応的攻撃性がなぜ、どのようにして淘汰されたのかを説明することはできていない。

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ダーウィンはそれに対して、「処刑仮説」を立てた。

処刑制度が人間の利己的性質を抑え、人間の反応的攻撃性を淘汰したのだと。

著者は矛盾していると指摘する。

ダーウィンは一方で、人間の交配に関わる性質は長らく無意識によって抑えられなかったと示している。

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ダーウィンの処刑仮説は魅力的であったが、今日では「偏狭な利他主義仮説」と呼ばれる。

協調するメリットが、攻撃するメリットを上回るという考え方である。

しかしながら、チンパンジーや人間の狩猟民族ではこの仮説に反していることから、根拠はない。

現時点ではヒトに見られる普遍的な性質とは言えないと著者は言う。

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アレクサンダーという学者は「評判仮説」というものを立てた。

評判が道徳に影響を与えるという考え方である。

著者は「評判を全く気にしない暴君」にとって「評判」とはどんな意味を持ち得るのかを考える。

そして、その暴君を止める最終手段は「処刑」しかないとする。

八章ではその詳細を検討する。

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第八章

七章では処刑という制度が自己家畜化を説明し得る可能性が見出された。

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アメリカでは18世紀の後半まで死刑が横行していた。

放火を行っても結果的に誰も死ななかったケースにおいても死刑された。

その後はカギを締めなくても眠れるくらいに治安が良くなった。

昔は世界中至るところで処刑が行われ見世物にされてきた。

ところが最近になるまで、少数民族における死刑制度の研究が進んでいなかった。

結論としては、少数民族においてでさえ死刑は行われていた。

そして、全大陸の至る民族で普遍的に存在していたことが分かった。

そのメカニズムは、暴君を阻止するための社会的な力学であった。

少数民族においては、ウッドバーンという学者がこう結論付けた。

「平等主義はボスの殺害によって保たれている」と。

これはのちに支持される。

社会学者デュルケームも、それと似た理論をのちに発表する。

著者は処刑仮説を支持する。

”時間の長さとその期間の世代数を考えれば、自己家畜化にかかわる進化は比較的ゆるやかだったはずだ。”P209

処刑には計画を立案する能力が必要である。

この説を説明するには言語の発達も同時に説明しなければならない。

著者によれば、今の水準のレベルに達したのは約7万年前とされる。

言語能力と自己家畜化には大いに結び付きがあると示された。

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第九章

自己家畜化について2つの説がある。

従順さは大昔から既に備わっていたとされる説。

もうひとつは大きな脳の副産物として従順さが備わったとされる説。

著者によれば、アウストラロピテクスの進化の過程が前者を示唆しているとされるものの、有力な証拠は存在しないとのことである。

後者に関しては、脳科学的な視点から説明される。

脳が大きくなればより多くの皮質ニューロンを持つ可能性が上がる。

しかしながら、人類は行動する前に考える生き物である。

ちょしゃによると、反応的攻撃性の低下と直接には結び付かないので、従順さは大きな脳の副産物であると考えるべきであるとされる。

また、従順さは恐怖心とも関わる。

キツネは、生理学的にストレスシステムの成熟が進むと、見知らぬ人が近づくとコルチゾール濃度が高まり、ストレス反応を示す。

従順なキツネはコルチゾール濃度が低いのでおとなしい。

ペドモルフォーシスによってストレスシステムの成熟化が延長されることが分かっている。

しかし、SAM系に関しては家畜化された動物においてはまだ研究が進んでいないとされる。

脳科学、考古学など、あらゆる分野において、まだ分かっていることには限りがあることから、これらは説として留まっている。

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第十章

ボームは『モラルの起源』において人類は集団内の仲間の殺傷能力を恐れるように進化したという考えを示した。

また、人類学者アランとテイジはこう指摘する。

“「人が誰かを殺傷するときにはたいてい・・・道徳的に正しいと思ったからか、極端な場合には義務感に駆られてそういう行動に出る」”P261

向社会性には個人の遺伝子を拡張する効果があるとされる。

著者は、チンパンジーは「ホモ・エコノミクス」の行動原理に従うが、人間はそうではないと言う。

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人間の道徳にはあらゆる矛盾がある。

著者はまず「功利主義」と「義務論」を挙げる。

さらに三つの認知バイアスがあるとする。

功利主義と義務論はお互い別々の性質を持つが、人間は功利主義と義務論の両方の性質を併せ持つ。つまり「矛盾=パラドックス」だ。

バイアスに関しては、

・不作為バイアス

なにかをするより、なにかをしない選択を取る。例:延命治療をさける

・副作用バイアス

主要な目標が害をもたさないようにする。例:むやみに爆撃しない

・非接触性バイアス

危害を加えられている人に触れるのをさける。

著者は、バイアスは認知バイアスの可能性があるとしつつも、悪事の非難に対する弁明の機能もあると指摘する。

そこには「自助メカニズム」があるとされる。

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ある感情は、社会的な関係を修復する効果があるとされる。

「気まずさ」「罪悪感」等

著者はここが本書の核であるとする。

道徳心理は大多数の人にとって、社会からのけ者にされることが、現代より危険だった時代に作り出されたと述べる。

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第十一章

著者によれば能動的攻撃性( ≒ 計画的暴力)は善と悪のパラドックスを解くカギになるそうだ。

コーラント・ローレンツは、動物は進化のおかげで意図的に殺し合わなくなってきたと主張した。

しかしながら、のちにそうでないことが分かった。

同種のメンバーを能動的に殺す行為は人間にかぎられていないことが判明する。

論点とされたのは、「子殺し」のような「過度の暴力」は適応か否か、ということであった。(神経に異常があるかどうかという意味で)

結論としては適応で、子殺しは戦略的で利己的な行動であると分かった。

つまり、チンパンジーのひとつの特徴として「子殺し」は認められる。

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研究者は狩猟民族の連合による能動的攻撃性について調べた。

狩猟民族の研究の結果から、彼らもチンパンジーと同じ原理で連合による能動的攻撃で殺し合うことが確認された。

“同種殺しの進化の起源が集団の奇襲にあることはチンパンジーと人間に共通していると考えるのが妥当だろう。”P316

カギは連合による能動的攻撃性、つまり「戦争」にある。

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まとめ

読み終える。

著作権の関係で、全ての章を要約することは控えることにした。

ただ、いままでの要約は全て自分の言葉で簡潔にまとめて書いているので、本書の「全て」を物語ることではないことに留意して頂きたい。

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戦争の章では、「条約」によって戦争のルールが変更されてきていることが言及された。

また、戦争の犠牲者も長期的にみれば減ってきている。

しかしながら、「性善説」を信じきることも危険である。

著者が指摘するように、ルソーの主張に完璧に従えば、理想は「無政府主義」に陥る。

3000年も経てば進化生物学的に、人間の脳になんらかの変化は起きる可能性があるとされる。

自己家畜化がどこまで進んでいるのか、これからどうなるのかまでは説明できないと著者はいう。

生物学的「決定論者」の学者たちは、戦争は避けられず、遺伝子レベルで人間はどうにもならないと悲観視する。

著者は、人類の物語が良い方向に傾く証拠はいくらでも存在すると否定する。

僕もそれを信じたい。

人々が分断するのは良くないかもしれない。

しかし、全体主義のように結束しすぎるのも危ない。

善と悪は量子と似ている。

善でもあり悪でもあるのが人間。

その人間は量子レベルで構成されている。

その量子はまだ未知の領域であり、宇宙の仕組みもほとんど分かっていない現代科学。

最も危険なのはやはり「思考停止」であり、「思考停止社会」である。

考えることが人間であるのだから。

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