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読書日記113

      熊代亭『何者かになりたい』イースト・プレス (2021)

  

つづきをよみすすめた、

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/09/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98101/

     

SNSのない時代は、救いを求め、そういった人々が集うことによって宗教的に集団化された。

今はインスタントラーメン並みに手軽にネットを通じて集うことができる。

今は宗教の代替として部分的には「オンラインサロン」が担っている。

オンラインサロンにも見極めが必要ということであった。

    

その後は心理学者エリクソンのアイデンティティのお話になる。

僕はひとつ気づいたことがある。

自分自身を記述することは不可能であるが、アイデンティティは記述可能ではないか。

アイデンティティとは所属意識のようなものだ。

「○○商事の課長」

「家族がいる」

「○○大学を卒業している」

一方で、

「○○が生き甲斐」

「○○な人が好き」

という記述は自分という人間に関する記述である。

     

しかし、これらをいくら並べ立てても自分を記述することは不可能である。

参考文献:大澤真幸『恋愛の不可能性について』ちくま学芸文庫(2005年)

記述可能なものは直感的に何らかの脆弱性を感じる。

これは検証してみる価値がありそうである。

つづく

公開日2022-02-09

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