ピーター・シンガー『私たちはどう生きるべきか』を読み終えたあと、次に読むべき本はこの本だと直感的に感じたので読むことにした。
現代の道徳哲学の陣営はざっくり分けると「カントの義務論 vs 功利主義」に分かれるようである。
「善」の本質を内側から外に向かって考えていくのが前者、外側(社会及び世界全体)の「善」をまずは考えてから内側に向かって考えていくのが後者だと自分は思っている。
「素人が何を言っているのか」と言われる可能性があるので予め書いておきたいのは、哲学は個人的な営みでありながらも、全体的な営みであるということである。
つまり、全体(アカデミズム)が正しいとみなしても、個人がそうとは思えないと感じたのであれば、まずは自分なりに全力で考えてみるほうを私は選ぶべきなのである。
そもそも、自分なりに一生懸命考えることが本来の哲学であるはずで、スタート地点はそこにあるはずだ。
その営みがない哲学は、それはもはや哲学史のお勉強と言える。
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自分はピーター・シンガーを読んでカントの義務論に若干の疑いを持ち始めてしまった。
その理由はここでは割愛するとして、本題に入りたいのであるが、生物学はそもそも倫理に知見を与えることができるのか?という疑問が漠然としてあるように思う。
誤った方向に進んだのが社会ダーウィニズムだと自分は思っている。
適者生存。弱肉強食。弱きものは去れといった冷たい思想である。
ヒュームの法則は「~である」から「~べき」を導けないというものであった。
であるならば、生物学の事実から倫理に生かすことは不可能ではないのか?ということが本書で検討されている。
今の自分であれば、それを少しだけ俯瞰してみることができる。
道徳哲学には「反道徳的実在論 vs 実在論」の陣営があるとされる。
そして、実在論者は「事実」と「価値」はそもそも分離不可能と考えている。
こちらの本で少し学んだ。
議論がなかなか複雑なのでまだ落とし込めていないが、「事実」という概念のなかにもいくつかの種類に分けることができ、その一部は「価値」と直結しているものがあるのだという。
その議論を読んでいていろいろと考えさせられ、ヒュームの法則に囚われ過ぎていた自分を内省する良いきっかけとなった。
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今日はヒュームとムーア(倫理学者)を再考する章を読んだ。
1,2時間程度読んだくらいでは理解が進まなかったが、まだまだアナロジーの域からは出ず、あくまで生物学は生物の記述、倫理学は倫理についての記述だという当たり前のことを忘れず、中立的に考えていけるように意識したい。
つづく