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読書日記139

原田和広『実存的貧困とはなにか:ポストモダン社会における「新しい貧困」』青土社 (2022)

  

つづきを読み進めた。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/14/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98134/

   

人間を理解するには「差別」について理解しなければならない。

換言すれば、差別について多角的に分析すれば、日々の活動や仕事が資本主義に包まれるなか、自由主義が「身体化」された人間の性質をおおまかに記述できるようにも思える。

たとえば、アナウンサーが夜の街でこっそり働いていたことから内定を取り消されるという事例が過去にあった。

これを客観的にみれば、そこにはスティグマが存在するのは自明である。

  

仮に、こっそりボランティアに行っていたとか、こっそり介護施設で働いていたとなれば称賛に値される。

経済的な視点でみればそこには「対照性」が存在する。

介護は低賃金、銀座のクラブは高賃金。

  

まず、スティグマにはある種のルサンチマンがあるとみて良いのではないだろうか。

銀座で働けるのは「容姿端麗」である必要があるかもしれない。

すると、スティグマとルッキズムに関する結合があると考えても良いかもしれない。

そして、容姿は遺伝によってほぼ決まる。このメリトクラシーにおいて、容姿は生活水準に影響を与える。

この「不平等」感から差別感情に繋がっていく可能性も考えることができる。

  

となれば、これらの状況をかんがみれば社会的な「なにか」が差別感情発火への「触媒」となっているとみても良いのではないだろうか。

裏をかえせば、やはり社会的なアプローチから差別感情を減らしていくことはできるかもしれない。

その消火活動をいかにすべきか。

これは放置して良いものだとは思えない。

火事である。

火はとなりへ、となりへと移っていく。

つづく

公開日2022-02-21

  

【追記・補足】

今話題の「職業差別発言」とつながるのではないだろうか。

アナウンサーの内定取り消し問題は忘却の彼方へと去ってしまった過去の出来事であるが、これは、よくよく考えれば明らかに職業差別だと思われる。これから人々の認識は少しずつ変わっていくと思われる。今は過渡期なのだろう。

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