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読書日記177

       池田晶子『事象そのものへ!』トランスビュー (2010)

  

池田晶子『事象そのものへ!』トランスビュー(2010年)を読む。

<知識人>というトピックから本書は始まる。

「世紀末」

「マルキシシズムの終焉」

そして人は「生きる指標を見失った」と論じる知識人に対して池田氏は、「そんなもので生きる指標が失うというのなら、どこに思想が生まれる余地があるのだろう」と批判する。

さらに、

“百年たてば一世紀加算されるという日付け上の事実以上に、「世紀末」ということばを使うならば、私たちが「人生に意味はない」と言い切るためには、どれほどの覚悟が必要なのかを知るべきではないだろうか”P21

と述べる。

  

ニーチェとヘーゲルは「存在」「死」を基点に物事を考えている。

「私」という存在が「在る」ことの「現実性」から思考をスタートさせなければ人間についての謎を考えることなしに思想を練り上げることになる。

人間という存在について考えること無しに、いったい何を「知る」ことができるのだろうか、そのように池田氏は言う。

哲学は役に立たないとか、人文は役に立たないと人は言う。

これは全くの逆であって、今現実で行われていることがそもそも本質的に役にたたないと個人的には思う。

思考停止社会。

端的に言えばそうなる。

  

なんのための延命治療なのか。なんのための臓器提供なのか。

臓器が提供されることを望むことは他人が一人死ぬことを望むに等しい。

さて、これは「人を殺めたい」とイコールであろうか。

人が死ぬことを望むような人に臓器が提供されるべきなのだろうか。

脳死問題がややこしくしている。

「脳死」

これが臓器提供を可能にした。

そもそも人は「脳」なのか。

臓器提供を「可能」にするための法案ではなかったのだろうか。

(1997年「臓器移植法」施行)

そういう根本から考えなければならない。

だから僕は思考停止社会と言いつづける。

  

今世の中で行われていることが本質的には役にたたないのであって、考えることから全ては始まる。

つづく

公開日2022-03-14

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