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読書日記181

           池田晶子『私とは何か』講談社 (2009)

  

池田晶子『私とは何か』のつづきと、

ヘーゲル『精神現象学』を読む。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/12/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98128/

  

池田晶子氏は2000年前後に活躍していた人物であるので、当時の「バブル崩壊」「ITベンチャー」について書かれていることが多い。

バブル崩壊後に人々は「これからは精神の時代だ」と言い出す雰囲気に対して池田氏は「そんなふうな仕方で求められる精神性など商品の肩代わりでしかない」と言う。

僕の言う「悪書」とはつまりそんな精神性によって生まれた本である。

  

「分断」

「自由が危ない」

「レジリエンス」

「マインドフルネス」

ビジネスと日和見主義は紙一重。

僕はこういう部類の本に翻弄されてしまったことを恥ずかしく思う。

もはや「読書」ではなく「毒書」だ。

  

池田氏いわく「ヘーゲルは簡単」である。

そんなことを言うものだから僕もヘーゲルを読んでみる。

しかしわからない。

単に今まで考えてきたことが少なすぎるからであろう。

そして思う。

力が足りない。考えが浅い。

  

変化の激しい世界は裏を返せば流されやすい世界でもある。

時代に流される人間が美しいはずがない。

つづく

公開日2022-03-16

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