つづきを読み進めた。(新・読書日記16に収録)
200ページ手前まで読み進んだ。
あと70ページほどで小室直樹の論考は終わる。終盤に突入した。
今日は資本主義のエトスについて読んだ。
日本の資本主義は欧米のそれとは異なると小室直樹は述べていた。
小室直樹は日本のある出版社において、社長と株主がグルになって会社を私物化しようとしているということで、ストが発生した件に触れた。会社は株主の私物なので何も問題はないと小室直樹は述べていた。
“経営責任とは、経営者が株主に対してだけ負うものである。そして、株主は、会社の経営、財産管理がいかなるものであろうと(もちろん、公害などの責任を別にすれば)他人に対して責任を負う理由は少しもない。” P161
小室直樹は、経済学が想定している経済合理人の前提が日本では合致しないので、経済学の限界があると指摘した。
“したがって、現在の日本においては、二重の意味において経済学の有効性は限界を持つことになってしまった。” P161
会社、学校、労働組合などの「機能集団」というものが日本では「共同体」として機能する点(例えば日本雇用の流動性の低さはこれがある程度原因となる)と合わせて「二重の意味」となるようである。
170項に共同体のエトスについて再度説明されていたので引用したい。
“すでに述べたように、日本社会の構造的特色は、組織とくに機能集団が運命共同体性格を帯びることである。官庁、学校、企業などの機能集団は、生活共同体であり、運命共同体である。各成員は、あたかも「新しく生まれたかのごとく」この共同体に加入し、ひとたび加入した以上、定年までその中で生活し、他の共同体に移動することは困難である。しかも、彼らは、この共同体を離れては生活の資が得られないだけでなく、社会的生活を営むことすら困難である。かくして、各共同体は、各成員の全人格を吸収しつくし、共同体ごとに、独自のサブカルチャーを発生せしめる。このようにして、マスコミの介在を別にすれば、機能集団としての共同体は「その中に生まれ、生活し、やがて死んでゆく」中世的共同体と著しく類似した社会学的性質を帯びるにいたる。このように、日本資本主義は、欧米型のそれとは根本的に異なる。” P170
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この共同体が雇用の流動性を低くさせているように見えるが、小室直樹がいうには明治期は流動性が高かったとされる。
なぜ流動性が低くなったのか。それは戦後民主主義によって日本が急性アノミーに陥っているというのが小室直樹の説明であった。五章からはアノミーの話に移る。
第五章「危機の構造」を多少読んだので少しだけまとめたい。
デュルケームの定式化した3種類のアノミーについて説明される。
今日は単純アノミーだけまとめる。
デュルケームによれば、急激に生活が悪化した場合自殺率が高まる。また、急激に生活が向上しても自殺率が高まる。
小室直樹がいうには、人間の欲望は無限でありながらも、充足させる手段は有限であるため、社会的な歯止め(=心理的安定=新しい規範)が必要とされる。ところが、規範が新旧で入れ替わると心理的緊張を生む。これが精神に悪影響を与えることによって自殺率が高まるとされる。以上が単純アノミーの説明であった。次回は急性アノミーと複合アノミーについてまとめたい。
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小室直樹がいうには、アノミーは分析道具として有用性があるとのことであるが、日本の異常な自殺率の高さをアノミーだけで語ることができるのだろうか。
いろいろと考えさせられた読書時間であった。