池田晶子『考える人』のつづきを読む。
ヘーゲル以後の哲学を池田氏は吟味する。
マルクス、フッサール、ハイデガー、メルロ=ポンティ。
まず池田氏は、マルクスはヘーゲルの著書を誤読していることを指摘する。
フッサールには「骨だけみたいなフッサールの現象学」と述べ、ハイデガーの『存在と無』には「ねちっこく体臭を感じる」みたいである。
僕はフッサールの間主観性について軽く読んでみた過去があるが、ピンと来なかった。
ハイデガーに関しては「被投」について多少かじったものの、あまり体系的には吸収できなかった。
この分かりにくさはいったい何なのか。
ところが池田氏の本はすーっと頭に入ってくる。
同じ日本人だからというのが大きいと個人的には感じている。
認識の違いが文化や言語で生まれることは英語で学んだ。
西洋の体系を何故か日本は有難がって読みたがる。
しかしながら、アカデミックな世界ではアメリカが最先端であることは否定できない。
何故か哲学はそうではない。
アメリカは独自にプラグマティズムを開発した。
同じ西洋の出身であるにも関わらず。
この哲学史がよく分からない。
でも今となってはあまり学びたいとは思えない。
哲学を学びたい時は池田氏の本を読む。
僕はこれがしっくりくる。
つづく
公開日2022-03-25