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読書日記394

池田晶子『オン!埴谷雄高との形而上対話』講談社 (1995年)

■株式会社講談社

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日記

池田晶子『オン!埴谷雄高との形而上対話』講談社 (1995年) と、

フランクル『虚無感について』のつづきを読む。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/05/11/%e8%aa%ad%e6%9b%b8%e6%97%a5%e8%a8%98393/

  

埴谷雄高の『死霊』は簡単ではない。

故に、挫折して積読のままになっている。

池田晶子いわく、「あんな人は他にいない」「埴谷雄高は我々と同じ人類ではないぞ」である。

こちらからすれば、二人とも別次元の人間である。

しかしながら、素人でもこの二人の生き方について知ることくらいはできる。

フランクルはニーチェの言葉を引用する。

”「生きる理由 (why) を持っている人は、ほとんどどのような事態 (How) にも耐えることができる。」” P82

  

池田晶子氏は自殺に関して言及していた。

「善く生きるということを、人は人生を通して示さなければならない。

自ら命を経つということは、善く生きるとは何か、という問いを放棄することである」と。

https://labo-dokusyo-fukurou.net/2024/04/11/%e6%b1%a0%e7%94%b0%e6%99%b6%e5%ad%90-%e9%99%b8%e7%94%b0%e7%9c%9f%e5%bf%97%e3%80%8e%e6%ad%bb%e3%81%a8%e7%94%9f%e3%81%8d%e3%82%8b-%e7%8d%84%e4%b8%ad%e5%93%b2%e5%ad%a6%e5%af%be%e8%a9%b1%e3%80%8f%e6%96%b0/

  

池田晶子氏はエッセイで「生きていることなどどうでもよくなってきた」と書いている。

それでも「善く生きる」ということだけは貫いた。

最後はガンで亡くなったとされる。

私は初めてバイト代で本を買うようになった頃、ある言葉に出会った。

「人は簡単な理由で死ぬが、簡単な理由で生きることができる」

しかし、フランクルであればそんなことは言わないだろう。

ニーチェのいう「生きる理由」というものは、おそらく池田晶子氏のような理由と同じくらい固いものである。

しかし固さは時に脆くもなる。

柔軟性のある「生きる理由」とは何か。

つづく

公開日2022-05-13

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