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日記
アドルノ/ホルクハイマー『啓蒙の弁証法』岩波文庫 (2007年)、
ミシェル・フーコー『フーコー文学講義』ちくま学芸文庫 (2021年)を読む。
フーコーは「文学とは何か」という問いについて語っていく。
フーコーによれば、「言語・作品・文学」は三角形をなしており、文学はその頂点にあるとされる。
言語がなければ文学が成り立たない。
作品がなければ文学が成り立たない。
というのも、文学というもの時代は歴史的に浅い。
フーコーによれば、文学とは何かという形式的な問いはマラルメ(1842-1898)以後であるという。
以後、抽象的な話が展開されていく。
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啓蒙の弁証法も非常に抽象的であった。
今日はあとがきから読んでみた。
科学とは主観と客観を切り離す作業であるとも言える。
主観的なものは科学ではない。
ゆえに、自然を遠くに位置付ける営みでもある。
啓蒙の限界について彼らがどのような結論を出したのかについては、まだまだ理解に至らないが、人間そのものも自然の一部であるということを忘却しているのではないか、という思いを巡らせながら本書を読み進めた。
つづく