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日記
プラトン『ラケス 勇気について』講談社学術文庫 (1997年) を読む。
どうやったら子供に早く立派になってもらうことができるのか。
教育について、ラケスたちはソクラテスに問う。
ソクラテスは議論の細部を語る。
人は何かを学ぼうとし、それが身に付いたときに人は一段階成長する。
このことに関してまずソクラテスは前提条件等を一般化する。
学ばれるものをAとし、学ぶ者をBとする。
まず、BがAを得ようとするとき、そのAがBにとって善いものであることが前提である。
言い換えると、力を付けようとする場合、その力が何であるかを知っていなければ意味を成さない。
ソクラテスはAを視覚、Bを目として説明した。
その後、教育に話を戻し、結局のところ「徳」とは何かを知らなければならないという流れになる。
以上までが50項までの内容であった。
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他のプラトンの本でも、徳とは何かという問いがなされている。
別の本では徳とは「知」であるというものであった。
イデア論は終わりがみえない。
それが「問い」の非有限性でもある。
結局のところ、おそらくプラトンですらも本当の事はよく分かっていない。
数学でいうならば、イデア論は極限でいう「発散」であって、答えは「収束」しない。
故に考えることは尽きない。
問いは無限。
それは、常に問いつづけることの「意味」でもあるだろう。
つづく
公開日2022-05-20