■株式会社新潮社
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日記
池田晶子『無敵のソクラテス』新潮社 (2010年) を読む。
実業家とプラトンとソクラテスが富と幸福について語る。
経済倫理について、あっさりと結論まで辿り着いてしまい、私はぽかんとしてしまった。
内容は以下の通り。
他人から承認を得ることで幸福を得る人間は、自分で自分を幸福を思うことができない。
心が先か物が先か。
物がいくら豊かにあろうが、幸福を物自体が決めることはできない。
物を認識するのは心であり、結局のところ幸せを判断するのは心次第である。
従って、幸福を決めるのは物ではなく心である。
常に心が先行する。
実業家は公正なルールにもとづけばビジネスで人を幸せにできると考える。
公正なルールを守ることは、すなわち形式を遵守することである。
形式は人間の外の話である。
こちらは守らなければ罰則がある。
一方、友愛や謙遜、感謝といった内の領域に関しては、守らなくても罰則はない。
外と内は独立している。
故に、自由競争においては利益の追及と品性の追及は相容れない。
この解決法として、池田氏はマルクスとは違い、富の無価値化を推奨する。
勿論、現実には不可能であるのであくまでもプラトン『国家』に捕捉した形となっている。
事実と価値の二分法について、論理的に心が全てを司ることが示された。
経済倫理は本質的に社会と相容れないのだろう。
つづく
公開日2022-05-24