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日記
池田晶子『無敵のソクラテス』のつづきを読む。
非常に面白い。
とてつもなく面白い。
プラトンとソクラテスが現代に舞い降りた。そう思わずにはいられない。
議論の内容は多岐にわたる。
けっして抽象的ではなく、現実に則したものとなっている。
夕方は正義と倫理の話をゆっくり読んだ。
結論からいうと、「倫理=正義」という構造が嫉妬を媒介して判明する。
例えば、不正に4630万円を手にした人間がいるとする。
「けしからん」
人々は怒る。仮に、本当に4630万円が人間の手にわたってしまったとする。
本書ではサラリーマンが語る。
「倫理観はどこにいってしまったのでしょうか」
ソクラテスは「何が問題なのか」と述べる。
かりに4630万円が人の手にわたろうと、ソクラテスは損をしない。
サラリーマンは反論する。
「いやいや、我々の税金ですよ」と。
ソクラテスはなぜ貴方はそんなに怒っているのか問う。
「倫理に反するからです」とサラリーマンが言う。
倫理に反することは自分にとって「悪いこと」であり、人は自分にとって悪いことを自らやることはしない。
悪いことを自ら行う人間なぞほっとくがいいじゃないか、とソクラテスは言う。
ここで、倫理が正義に変形する瞬間が見てとれた。
プラトン『国家』に通ずる話である。
不正を行うことで得することができるか、ソクラテスは約800ページにわたって議論した。
理想国家においては「できない」という帰結になる。
プラトンと池田晶子氏の本を交互に読むことで、少しずつ理解することができた。
つづく
公開日2022-05-24